『仏教のアレ』

はじめに

当サイトは、運営者自身が「出家する前に知りたかった!」と思うあれこれを、禅修行者としての立場からお伝えすることを目的としています。

そのため、一般的な「ありがたい話」よりも、むしろ「過酷さ」の側面をお伝えできればよいと思います。

禅修行の歴史において、「身も心も完全に叩き潰される」ような命がけの真剣勝負は珍しいことではありません。

「おまえなんてクソふいた紙とおなじだ!」

「30mの竿の上から飛び降りろ!」

罵詈雑言の飛び交う中で、殴る蹴る、叩く、斬る、、、、これらの修行を要求する「仏教」とは、本当に世間で言われているような「ありがたい話」だけで済ませてよいものでしょうか。

私感を述べれば、あくまで知るべきは修行現場の実際についてであり、過去から現代までにわたる修行僧の行いを学ぶことが仏教を理解する上では一番の近道です。

 生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」―道元『正法眼蔵 諸悪莫作』

仏道修行とはこの言葉の通り、 “いかに生き、いかに死ぬのか” 実践の中において自分自身で明らかにし納得してゆくためのものです。

このような生死の問題は、人間一般に共通する現実問題のはずです。そしてこの課題に取り組むにあたっては、人生をかけてその問いに立ち向かう修行僧達の言動を知ることが助けになることも多いと思います。

言葉にできない「アレ」

仏教がわかりにくくなる大きな原因は「言語」そのものにあります。

「無我」「悟り」「涅槃」などはその一部ですが、直接の言語化ができません。

それは “言葉にするのが難しい” のではなく、 “言葉にするのが不可能” だからです。

仏の得た “悟り” は純粋な個人の経験であるため、言葉を尽くして説明したところで、経験自体は伝えることが出来ません。それは感覚質(クオリア)を伝える時のように比喩によってのみ伝えようとすることが出来ます。

だからこそ、禅の世界においては「不立文字、教外別伝」(文字によらずに言語から離れて教えを伝える「以心伝心」(心から心へ直接伝える)という方法を強調しています。

どうしたら言葉にできない「アレ」が伝わるか。

一つだけ確かなことはだれにとっても正しい教え(言葉)は存在しないということです。

つまり個人個人の相性によって、適切な伝え方は変わります。

だからこそ、適切な指導者や書籍を見つけ出すことは容易ではありません。

とくに、指導者については、彼らが正しいのか間違っているのか、判断する基準がほとんどありません。

このサイトでは、何を誰に学べばよいかわからない、という方々にこそ役に立つ記事を中心にしています。

仏教トークを寺から外へ

僧堂において共に修行をする仲間とのなにげない日常的な会話は、思いがけず良い勉強になることがよくあります。

その経験から、このサイトの対話記事は、兄弟弟子のありふれた仏教トークを元にしたものも多くなっています。

お坊さん同士のマニアックな話から、くだらない話まで、できる限り体系的にまとめました。

仏教に関心がある方にとって、書籍では見つけづらい修行者の生の声を聞いていただける機縁となれば幸いです。

また、一部の記事では「仏教について関心はあるが、これから学び始める」という方にとってもわかりやすいように専門用語を減らす努力をしました。

しかし、何より初めにお願いしたいことがあります。

仏教とわかりやすく教えてくれる優秀な書籍を随時紹介しておりますので、このサイトをより楽しんでいただくために是非、編集部オススメの書籍をご覧になってご自身に合った本を読んでみてください。

仏教を学ぶ上では、本を読んで知識を得る能力経験から知識を具体的な智慧に整理納得してゆく能力の二つのバランスは欠かせません。ぜひとも、自身の修行を日常に取り入れてゆく経験と共に、読書を通じた様々な研究活動にもご関心を持っていただければ幸いです。

まずは記事を読みたい、という方は以下のおすすめ記事をごらんください。

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