この記事について 禅修行に欠かせない師匠って? どうやって見つけるの? 一歩間違えたらカルト宗教に入っちゃいそう…。 そんな疑問を正直に語ったら、こんなに歯切れの悪い話になりました。 でもホントの話なので怒らないでください……。 |
前回はこちら!
師匠と弟子の関係について
“正しい師” という点に着目してお話ししましょう。
前回までみたいにふざけてばっかりいられませんよ?
ちゃんとやります。
その代わりちょっと今回から難しくなるかも・・・。
師匠って?先生?ピッコロさん?
それだけ大事なことですから。
ではまずは世間のイメージですが
弟子と師匠っていうと、やっぱり
ドラゴンボールの御飯とピッコロみたいな
師匠が弟子を鍛えて強くする!
って形が思い浮かぶでしょうね。世間だと。
見た目同じですが
違います。
強くなるために修行してます!
っていう一般的イメージが強すぎるかも。
あくまで修行して目指すもの
それは「佛(ホトケ)」なわけですから
人間が強くなるためじゃないです。
当然、はじめは何がなんだかわからないので、
本を読んだり修行体験してみたり、
いろいろやってわかろうとしますが
たぶんわかりません
むずかしいですね。
このサイトはその手助けも考えて作ってますが、
われわれのつたない文章ではもちろん限界があります。
「正師」
を探して弟子入りすることが重要になってくるわけです。
って道元禅師もおっしゃってますしね。
あくまで
「正しい仏法」を知っている「正しい師匠」
が必要であるとされます。
が
初めの落とし穴です
“問題の答えを知っている先生”
だとおもいますね?
師匠=先生
だと思っている人がほとんどだと思いますし、
事実わたしもはじめはそう思っていました。
だって、なにかを学びたいと思っている人間が
その情報を知っている人をまず探すのは当たり前です。
それを“教えてくれる人”についての理想のイメージは
例えば有名予備校の講師でしょう。
自分が知るべき“情報”をわかりやすく教えてくれる人、
池上彰さんなんかもその方向で人気の方ですね。
たしかに仏教にも思想や哲学を教えてくれる教師はたくさんいます。
それに実際人気があります。
「悟るのいつ?今でしょっ!?」
系の教え方する仏教指導者も多いですしね(笑)
道元禅師は仏教の知識を教えるだけの師匠を
「文字法師」として重要視しませんが。
悟らないと親が困るの……
師匠は必ずしも先生の役割だけにとどまりません。
では、正しい師匠、正師とはいったいどのような人物か、
まずは道元禅師の定義ですが、
「行解相応(ぎょうげそうおう)」
するのが正師だといってます。
言っていることとやっていることが同じ。
という意味ですね。
でもこれって、よく考えたら、そう言われても困りませんか?
だって、それって有言実行のことですよね?
あたりまえのことですよ。これ。
「言っていることとやっていることが違う!」
なんて言われている人は
そもそも一般社会でも信用なりませんからね(笑)
普通に考えればその正師って
仏教の修行についてよく理解して、
その理解の通りに修行している人
のことですが、そもそも「仏教の修行」がわからないから
正しい師匠をみつけたいので、
「その師匠が正しいかは、師匠が正しい理解と同じ、正しい修行をしていることでわかる」
っていわれてもその正しい理解と修行が
わからないので判別できないです。
かなりの確率でまちがいます。
行き当たりばったりというわけにもいきませんので
しっかりとした基準が用意されています。
「お釈迦さんから代々あなたまで仏法を伝えました!」
という証明になるものです。
この“さとりましたよ!”って証明があるので、
これをもらった人は曹洞宗ではお袈裟の色が変わります。
“先生”であれば肩書や出版物をみて、
能力の高い優れた教師だ!という基準になりますが、
修行の師匠の場合はこれが代わりに
“悟り”を教える基準になります。
黒い袈裟を付けている“悟る前”の雲水とちがい
黄色い袈裟をつける“悟った”和尚さんは人を導くことができます。
・・・ということになってます
まぁ、お坊さんであればとくにお寺の住職さんはみんな、
猫も杓子も“悟った”ことになってますからね…
さすがに形骸化しすぎて
残念ながら現代ではほとんど何の意味もありません。
住職になるためには建前上“悟って”なければならないし、
お寺を子が継がなければ、
ほとんどの場合お寺の家族は
家を寺ごと失います。
そのため、
子が“専門僧堂”というところで一定の修行期間を過ごし、
住職になる資格を満たしたらとりあえず“悟った”認定をあげます。
この場合師匠はお父さんです。
お寺さん生まれの人がほとんどです。
大学卒業して専門僧堂で最低一年間修行して、
多くが23か24歳くらいで“悟った”認定うけます。
師匠を選ぶ重要な基準であったかもしれませんが、
現代のこのような事情でもはや同じ基準は使えません。
師匠って……全然見つからない。
でも、そうだとすると
“正しい師匠”はどれだけ探しても見つからない
ってことになりませんか?
すくなくとも、修行を始める前に
「この人こそ絶対に正しい師匠だぁ!」
と言えるような基準は存在しないと言っていいでしょう。
ではやはり
最終的に“自分で決める”他ない
ということになりますね。
もちろん、人からの紹介であったり
メディアなどいろいろな情報も手伝いますが。
先に言ったように、先生のような肩書や評判は
“悟り”の証明が不可能なので基準としてはビミョーです。
とっても誤解を受けそうな結論になりました。
普通に読んでいる方はきっと
「理想の師匠を!おれがえらぶ!」
ってなってるので
おそらく師匠についたとしても簡単に
「なんかうまくいかないから
こんな奴はおれの師匠じゃねぇ!」
ってなります。
「理想の師匠」を選ぼうとするのは、まぁOKですが、
一度選んだ師匠を否定するのであれば、
どれだけその師匠のことをちゃんと理解できているか
が問われなければなりません。
日本のことまったく知らない外国人が
「オォ~、日本人生魚タベマスネ~。
キモチワルイ。アナタ人間ジャアリマセン」
って言っていても、なんの説得力も感じないのと同じです。
自分でよく考えた上で師匠として師事するにふさわしいかどうか
考えまくらなければならない。
ということで。
道元禅師は「師匠いなかったら修行してもムダ!」といいますが
すくなくとも現代においては師匠を見つけるまでに
少しは判断基準となる知識が必要である
ということになります。
次回も師匠についてさらに詳しくお話ししましょう。
すぐ誤解を受けるか誰かから怒られるかするよ。これ。
まとめ
- 師匠ってみんなが思う先生みたいには教えてくれない。
- 何が正しいのかわからないのに正しいものを基準に選べという無茶ぶり。
- ひとつなぎの大秘宝さがしに海にでる、くらいの覚悟で探して。
次はこちら!