学習と実践のはじめかたを、間違いのないように丁寧に説明しています。 もうすでにアメリカでは常識となった 「仏教は自分を成長させるのに役立つ」 という考えを前提として書かれているのが注目の点です。
いかに仏教を読み学ぶか
たくさんの仏教本や教えがありますが、何から学べばよいでしょう?
多くの人が仏教と言えば“静かに坐って内面の智慧を見つける”モノだと思っています。
日本じゃ真っ先に思い浮かぶの葬式と法要と法話くらいです。 坐禅したことある人なんて普通いませんよね……
あなたが仏教の実践を始める時、そういったステレオタイプを持つことは簡単です。
しかし、指導者だれもが必ずこう言います。
「ある段階において、実践と確かな学習のバランスはとても重要になる」
ブッダは教えを学ぶこと(時には暗記することまで)の重要性を強調しました。
ハッキリ言って、現代には仏教についての多くの誤った情報があります。
仏教実践の目標の一つは智慧(般若(prajna))を育てることです。
それには瞑想の実践と共に献身的な学習が必要です。
“お経の暗記”ですが、内容は習いませんので無意味です^^ ちなみにこの智慧(Prajna)は「般若心経」の般若です! ありのままの真実をみるための智慧のことです。 パーリ語でパンニャーっていうんですって。かわいい。
何を学ぶのかを選ぶ
いつでも最初が一番大変です。
仏教についての教えや経典、本や伝記や研究は数え切れません。
どこから始めたらよいでしょう?
あなたに指導者やコミュニティがあれば、言うまでもなく、彼らの教えやオススメに従うのが良いでしょう。
もしあなたが学ぶべき決まった方法や、伝統を持っていなくても心配しないでください。
まず、あなたが何を読みたいのかに気づいてよく考えてください。
そしてその教えがどこから来たのかを確認してください。
もしあなたが仏教の実践の途上にいるのであれば、
その教えは確かな仏教の伝統から生まれたものです。
その伝統についての主な言葉をまずはながめてみてください。
あたりまえすぎてそのルーツなんて考えたことないですよね。 わたしはもちろんルーツをたどったからお坊さんになりましたが ルーツ辿るために漢文読んだり、山奥で修行したり しなければなりませんでした!
どのくらい学習するべき?
これは完全に主観的な意見です。
実践する人の中には仏教の本を読むのが好きで、実践をしない人もいれば、
あるひとは静寂の中に坐ってただ漠然と瞑想するために、読書を拒む人もいます。
学習と実践はどちらも重要です。これは大まかなやり方のおすすめです。
どんな瞑想の実践をやっていても、学習はそれを助けるでしょう。
学習することで、あなたは実践において何を自分がやっているのかを知っていて、
あなたが経験することを説明づけることができるからです。
あなたの学習は実践の案内です。そして実践は学習の証明です。
自分自身を学んでください。そして、あなたの実践の中で、あなたがどこにいて何に挑戦しているのか、
読書や瞑想をどのように感じるのかについての感覚を持ってください。
“学習と実践がお互いに支えあっている”と知ることで、あなた自身のバランスを見つける努力をしてください。
どれだけ読書などの学習をしても、実際の利益が生まれる保証はありません。
知識を増やすのはよいことです。しかし、その知識があなたを変えることの方がよいことなのです。
一見外側の世界に存在するような仏教の教えがあなたの人間性と重なるところに本当の利益はあります。
もっというならやって効果がなければ意味ないよ。ってことですね。 これほど堂々と「自分のためにならなきゃ意味ないよ!」 って言えるのは説得力あってうらやましいです。 元々仏教はそういうものでしたが、 アメリカでは「自分を学ぶためのもの」として しっかり受け入れられていることに注目です。
しっかりと智慧を理解するにはどうしたらよいか
一般的に、指導者はあなたの学習していることが身につくまで時間をかけることをすすめます。
これは、十人十色の学び方があるということです。
たとえば、一章だけ読んだら、学んだ内容に基づいて瞑想する。
もしくは、ゆっくり読んで熟考するかもしれません。
ひょっとしたら、一つの段落だけを何度か読み、残りの一日中考え続けるかもしれません。
あるいは、お気に入りの言葉をトイレの鏡に張り付けて定期的に考えるかもしれません。
大事なことは、その知識が自分自身といかなる関係があって、どのように自分に適応するかです。
そしてあなたの世界観と経験に照らし合わせて真実だといえるかどうかです。
あなたは頻繁にTwitterやInstagram、ニュースなどをチェックしますか?
その朝の習慣だけでも、仏教の学習に費やし一日を通して智慧を保つのをおすすめします。
日本でこれを言われて、 「よっし!ツイッター我慢してお経読もう!」 って人いませんよね…。 仏教の教えを実生活に結び付ける努力を アメリカでは真面目に行ってきたからこそ言える言葉です。
より奥深い三つの知恵の探求
ある仏教教室では、智慧の発展を三つのステップに分けています。
最初の智慧は聞くこと、二つ目は、熟考すること、三つめは、瞑想することです。
一つ目の知恵、「聞くこと」では、文字通り仏教関連のテキストの学習をします。
何度もテキストを読んだり、暗記したり、テキストの本質的な意味まで学習したりすることです。
二つ目の「熟考すること」では、あなたの経験の文脈に照らし合わせてその教えを考えてみることです。どう感じるでしょうか?
三つ目の「瞑想すること」では、教えに従い、ゆるぎない事実に基づいて瞑想することで、規定されていない(unconditioned=条件づけられていない)経験を実践することです。
「聞・思・修(もん・し・しゅ)」といわれます。 きいてみて、自分で考えて、納得して修行する ということですね。 あたりまえのことに聞こえますが、 日本では「納得できないけど黙って修行する」美徳の価値観 があるので、実はなかなか実践されてません。 ちなみに…、 unconditioned state(条件づけられていない状態)とは、 因縁によって繰り返される輪廻から解脱することなので、 簡単に言うと、涅槃を悟ることでもあります。 レベルが高いです…。
優れた記事を日本語に要約してご紹介する企画です。
日本文化としての仏教に慣れ親しんだ日本人にとって
時には新鮮な発見もあるかもしれません。