仏教文化ってなに?①:海外から見る「仏教最強決定戦」


仏教文化って色々ですよね。

葬式、法要、法話、行事など日本人には

親しみ深い仏教文化を、海外からの視点で考えてみました。

日本文化についての仏教はまだ話してません!

でも海外では全く違う形の文化が成長しています。

仏教最強決定戦!?

 

道宣
なんですか?

この仏教最強決定戦って……?

 
遊心
その名の通りです。

 

仏教の提供する様々な祭式、生活様式が

文化の中で消費者に取捨選択されてゆく

仏教コンテンツの適者生存のことです!

 
道宣
はぁ…?

 

いまいちピンときません

それがどうしたんですか?

 
遊心
日本にも遅かれ早かれ起こるであろう

その新たな最強決定戦について考えてみたいんです。

 
道宣
起こるかなぁ……?

 

最強決定戦は既に起こっている…?

 

遊心
まず、前提として

アメリカをはじめとする海外では

すでに最強決定戦は

 

終わっています。

 
道宣
たしかに、それはそうかもしれません。

 

仏教を輸入する段階で

彼らはうるさいくらいに

 

“なんの役に立つのか”

 

を問いただしてきましたからね。

 

仏教のどの部分が人に利益をもたらすのか

すでにそれなりの結論が生まれていると思います。

 
遊心
その通りです。

 

 

“Buddhism”という未知の宗教文化に対して

欧米諸国では、20世紀の間

その用法と効果が厳密に問われてきました。

 

 

いまでも海外の仏教系サイトを見ると

チベット密教、東南アジアのテーラワーダ仏教、

禅と大乗仏教、など、およそ仏教と呼ばれる

ほとんどの大枠をジャンル分けして同時に扱っています。

 
道宣
そうですね。

彼らからしたら仏教なんて

“よくわからないけどアジアで主流の文化”

でしかないですからね。

仏教をどういう形で生活に取り入れるか

個人の選択で自由に選ばれている気がします。

 

新しい仏教文化はとても自由

 

遊心
そのため、仏教国の日本人から見たら、

とってもカオスな仏教文化

が成立しているのは注目すべきです。

 
道宣
朝はテーラワーダのヴィパッサナー瞑想をして

 

昼は禅センターで作務をしながら交流し

 

夜はチベット密教の勉強をすることで

 

 

 

良い恋愛をしよう。

 

みたいなことですね?(笑)

 
遊心
それです!(笑)

 

およそ仏教が文化として根付いている国であれば

仏教を生かして人生の指針を探すことはあっても、

様々な宗派にまたがって手広くやることはなかなか難しいです。

 

 

 

ましてやそれを

恋愛やキャリアアップについての問題解決の為にするなんて、

 

それを修行とするお坊さんは

おそらく日本にはいないと思います。(笑)

 
道宣
一つの方法に集中して修行するのが

あたりまえの文化の上に成り立ってますからね。

 

もちろん自分の欲張りのために修行することも

厳しく、いましめられています。

 
遊心
そうです。

 

それは仏を本気で目指すのであれば必要不可欠であるからこそ

日本仏教には“よそ見をしない”、“利益を求めない”やり方が

義務付けられてきました。

 

ですが、このアメリカの現状を見ていると、どうしてもこう思うのです。

 

あれ?これ日本もこうなるのでは?と。

 

無視できないスーパールーキー

 

 

道宣
(笑)

 

うーん。そうかもしれない。

 

たしかに海外の、特にアメリカの仏教文化の

力強さと勢いには、ちょっと恐ろしいものを感じるよね。

 
遊心
わたし、それに気づくのは今更過ぎると思うんです。

アメリカはこれまでの間に世界中から集めた仏教文化と、

日本から渡っていった僧侶などの専門家によって

独自の仏教文化をすでに確立しているわけです。

 

日本が現代ではしっかり考えていない

仏教最強決定戦をしっかり行ったことは

明らかに注目に値することです。

 
道宣
そうですね…

 

日本にはできなかった事をしっかりやった、

ということは確かです。

 

その結果、代表として有名になったのが、

最近では耳にすることも多くなった

 

「マインドフルネス」

 

ですね。

 
遊心
はい。

“どのように自分の人生に利益があるのか”

を前提として問いただされた仏教が、

必然的に落ち着いた

 

“最新最強の仏教文化”です。

 
道宣
“人気が一番高い”という点では最強かもね…。
 
遊心
仏教は各地の文化によって様々な形に代わりながら

そのコンテンツを伝えてきたわけですが、

アメリカ特有の人生哲学によって生まれたのが

“マインドフルネス”の流行だと言えます。

 

つまり、瞑想によって自分についての理解と、

身心の効率的な運用を身につけるための

 

“トレーニング”です。

 
道宣
そう、

 

そのトレーニング的な見方が、本来仏教の最も嫌う

修行の誤解だったんだよね。

 

修行はあくまで利益を求めず、ただやるべきことをやる。

今ここの自分をはずれないように丁寧に行じてゆく。

 

というのが基本のキ、なわけですから。

 

「トレーニングして成長したらもっとワガママ言える」

 

というような考えでは修行はできないというのが常識です。

 
遊心
そこに彼らとの最大の理解の違いがあると思います。

今道宣さんの言った正しい修行観、

それって、あくまで

 

「仏を目指す」お坊さんの話ですよね?

 
道宣
…そうですね。

 

人の役に立たないなら文化にならない

 

遊心
仏教が彼らの国に根付くまでには

お坊さんを増やす以上に、まず文化に根付く必要がありました。

そのため、必然的にこの考えが浮かんだと思います。

 

「お坊さんにならない人が仏教で何を得するの?」

 

この質問に答えるのがすなわちその国の仏教文化です。

 
道宣
言われてみればそうですね。

 

日本で言ったら「葬式」なんかの事ですか。

 

仏教文化は確かにお坊さん以外の人を

中心として形作られていきます。

 

葬式も、人々の生活に貢献しているかどうかと言えば、

そうとらえる人は段々減ってきていると思います。

 
遊心
そうです。

言ってしまえば、海外の彼らから見て

その日本の「葬式」なんて、

珍しい民族神話や死生観にもとづいて行う

民族特有の儀式でしかないですよね?

 
道宣
そりゃ彼らから見れば…ね。
 
遊心
当然、彼らは新しい仏教文化の形を見つけました。

 

「人生をうまく生きたい」

「自分を成長させたい」

そんな希望にこたえる

 

 

一番売れる仏教を。

 
道宣
マインドフルネスは、

新たに仏教がその国に根付くために生んだ

最新の仏教文化だということですね…。

 
遊心
その通りです。

しかもマインドフルネスはすでに、

仏教最強決定戦を勝ち抜いたチャンピオンです。

 
道宣
そうともいえますね。

もちろん元からマインドフルネスとして

参戦したというわけではなく、

むしろ他と戦い、交じり合いながら、全く新しい形になって

生まれたというべきですが。

 
遊心
伝統仏教国のわたしたちからしたら

強烈な影響を、日本仏教に及ぼすであろう巨大な文化の誕生です。

 

では次回は、日本の文化のこれからについてお話ししましょう。

 
道宣
はい。

 

まとめ

  • アメリカでは既に仏教は新しい形になっている
  • 仏教最強決定戦は日本では長らく行われていない
  • 何らかの形で人の役に立たなければ仏教文化は生まれない

 

 

海外の仏教についてはコチラもどうぞ!(↓)

 

次回はこちら!



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