仏教を逆輸入する④:「毎日坐る」


 

この記事について
「仏教を逆輸入する」は海外で有名な仏教サイトから許可を得て

優れた記事を日本語に要約してご紹介する企画です。

日本文化としての仏教に慣れ親しんだ日本人にとって

時には新鮮な発見もあるかもしれません。

本寝坊主
Diana Winstonさんのメディテーションの実践となぜ定期的に坐るべきなのかについて。

そしてスケジュールを保つためのアドバイスが紹介された記事です。

 

元記事はこちら(英語サイトです)Lion’s Roar「Sit Every Day」by Diana Winston

 

 

朝の7時にけたたましくアラームがなると、ベッドからあわてて飛び出し、テーブルにつま先を打ち付ける。

暗闇の中であなたは坐蒲(坐禅の時に使うクッション)をさがす。

「ここら辺にあったはずだけど…」

「ニャー!」

あなたが死から目覚めたのを聞いて、ネコが走ってくるころには、

あなたは大自然に呼ばれるように、まだゾンビ状態のからだをクッションの上に投げ出しそうになる。

三分後には母親もあなたを呼ぶのだが、(これには絶対に答えるべきではない…)と感じる。

だけど彼女はアイドルオーディション番組の気になる結果について知っているのだ……

 

それで…そう。これが一日の始まりです。

あなたは仕事に遅刻しそうになり、シャワーはまた突然お湯が出なくなるし、

歯ブラシの毛は徹底的にバラバラに広がってる。ネコはご飯をゆすり取るためにソファを引き裂こうとする。

そしてもちろん、いつものように、クローゼットには数え切れないほど服があるのに、あなたは何を着ればよいか見つけられない。

動揺して、イライラしながら家を出ると、もう一つの怒鳴り声があなた自身に降りかかる。

「なんて怠け者なの!またメディテーションできなかった!私はこれからもずっと変わらない!」

 

よくあることに聞こえますか?その通りです。

リトリート(メディテーション合宿)のあとだろうが正月だろうが、なかなか坐ることなく日々は過ぎてゆきます。

あなたはメディテーションが良いことを知っているし、たぶんそれはあなたの人生ですることのできる一番良いことなのだとも知っている。

しかし続けるのはあまりにも大変です。

本寝坊主
はちゃめちゃすぎませんか?

アメリカでは毎朝みんなこんなに大変なんでしょうか。

そんな無理にメディテーションしようとしなくても……

って思います。

なぜ定期的に坐るのはこんなにつらいのか

忙しさに身を費やす文化のことは忘れてください。

アメリカでの研究結果の事実【週に平均16.5時間の余暇があるが、仕事や家事を始めると更にその時間は一層短くなる】ことも忘れてください。

われわれの多くが、二つの仕事を掛け持ちして、生活のためにとんでもない時間を費やしていることも忘れてください。

わたしたちは仕事にどっぷりつかっているのです。

文化として忙しさは美徳であり、神は代わりの選択を禁じた、と習ったことも忘れてください。

本寝坊主
これは……日本人も耳が痛いですね。

というかアメリカのこの文化を日本がすでに輸入したから、

日本にも、いそがしザムライが多くなったという説もあります。

Oh, そんなことしてる間にアメリカ人は膨大な情報の中で泳いでいることも忘れてください。

その海のような情報を消化するためのほんの一秒だけでも。

わたしたちの多くが日々、TVやラジオ、ビルボードやネット広告、メールなんかのインフォテインメント(情報娯楽)の爆撃にあっていることも忘れてください。

OK, 全部忘れましたか?

それらすべてをいったん置いておいたとしても、毎日のメディテーションを難しくする、さらにいくつかの理由があるのです。

メディテーションは私たちが文化的に規定された形と真逆

かならずしも習慣になっていないので、ホントの習慣がすぐに取って代わる。新しい習慣は大変。

時たま、メディテーションはとんでもなく退屈。私たちの人生は息が長いとか短いとかを知るよりもずっとずっと楽しいもの

そこら中にもっと面白そうでやるべきと思うことがたくさんある。TVも見れるし、エクササイズしたり詩を書いたり、家計簿をつけたりお風呂掃除をしたり……

私たちの脳みそは刺激にはりつけになっていて、その刺激中毒を克服するためにはとんでもない努力が必要

ときどき、とても我慢できない強い感情が生まれる時には、どんな規則も坐ってその悲しみを感じる気にさせてくれない。しかし、しばしばメディテーションについてはおかしな所がある。特に、逆説的だけれど、人生の難しい時には、それが一番良いメディテーションのための時間なのだ。そして私たちが一番メディテーションを必要とする時なのだ。

本寝坊主
とっても正直で面白いです(笑)

こんなに文句言っていたらお寺じゃ追い出されますが、

日本の仏教修行では受け入れられなかった、

この疑問や悩みに答えることが出来るからマインドフルネスは流行ったんですね。

ここから下も、うるさいほど「なぜメディテーションが良いか」を長々説明してます。

言っていることも的外れじゃないですし、むしろレベルが高い内容が多く、

お坊さんでない一般の方々がこのような実践を始めていることに

すごく驚いています。

 

なぜ坐るのか?

上で言ったような忙しさや文化的な問題に対してはメディテーションが理想的解毒剤。私たちは皆、やむことのない文化のスピードから決別するためにメディテーションをするべきだ。実際、これは革命的な活動だと言える。ただ坐ることが。

あなたにとって良いことだから。研究に重なる研究が科学的に(科学がそう言うならきっと正しい)メディテーションがストレスを減らし、低血圧を改善し、免疫機能にブーストをかけ、Well-being(よくあること、よく生きること。)についての総合的な感覚を生み出すができると証明している。

メディテーションはすごく面白い。私たちの精神状態と身体についての深い洞察を得ることができる。どのように習慣と思考や行動の様式が働いているのか、なにがやる気を生んでいるのか、そして何を気にかけるのか。

新しい技術が学べる。わたしの二つのお気に入り、平常心と他者への共感、のような。メディテーションにおいて坐りながら経験する善い、悪くて醜いなどのすべての側面。その中で落ち着きをもって坐り、来るもの拒まず去る者追わず、そうすることで私たちはバランスの取れたNon-reactive(動じない)心を育てます。

ここ最近の神経科学内最新の流行は、Neuroplasticity(神経の可塑性)です。年老いた犬には新しいことを教えるのは不可能だと思われていましたが、それは根拠の無いことだとわかりました。脳みそは、どの年齢の人間であっても、新たな神経の配列を創り出すことができるそうです。脳を発達させることはもはや子供たちだけに限られたものでは無いのです。この発見は衝撃的です――私たちが何らかの実践をしているのであれば、脳は新たに配列を組んだ神経の通路を作るのです。私たちはずっと変われないという古い言葉はもう忘れてください。私たちは絶対に変われるということです。だからこそ、私たちはメディテーションをするべきですし、健全な精神を保つために毎日行うことが好ましいです。その精神状態、落ち着き、集中、智慧、そして楽しみは結果としてあなたそのものとなるのですから。

実践していることは成長する。わたしたちが、忙しくて不安な心を育てたいなら、忙しくて不安な心を実践すればいい。落ち着いて集中した心を育てたいなら、それを実践する必要がある。一日中そのような美徳を育てる実践をすることはできるが、坐る場所が一番好ましい場所となります。そしてメディテーションは、どのような精神状態が利益をもたらすのかをしっかり頭にとどめておくための、日々の実践に対しての集中的注目なのです。

本寝坊主
レベルが…高すぎる…。

日本では僧堂で五年過ごしても

これだけ的を射たプレゼンテーションはできません。

 

もちろん日本では仏教のプレゼンなど、

しなくてかまわない文化であったからこそ、

そのような教育は受けないので誰もできないのですが。

 

何でも実践は必要です。実践を通じてのみ身に着けることができるのです。研究結果によると、ハーモニカは50時間の練習によって高度な能力となります。ピアノは450時間、ヴァイオリンは1200時間、数学(K-12th grade)は2300時間、競泳は6000-8000時間も必要とします。さび付いたハーモニカを手に取る前に、まずはマインドフルネスである程度の成功を得るためにどれだけの時間が必要かを考えてみてください。500?1000?2000?もっと?

どのような人になりたいですか?忙しくて、不安いっぱいで落ち着かなくて、神経質で、怒りっぽくて不幸な歯車ですか?それか、リラックスした、平和で愛すべき慈悲深く賢い幸せな人間ですか?

あなたは選ぶことができる。

まだ私はあなたを説得できていませんか?

OK,OK, あなたは「彼女は正しい。私はホントに毎日坐るべきだ。だがそれでもまだ簡単じゃないHelp!Help!」と言いたいんですね。

本寝坊主
不幸な歯車…(笑)

日本でもいそがしすぎる労働に対して、

社会への不満は上がっていますが、

それはアメリカでも同様みたいです。

 

メディテーションを実践するための10のアドバイス

自分にやさしく。自分の失敗を一日でも、一週間でも責めると、メディテーションを嫌いになる理由となる。よく聞いてください、メディテーショントレーニングは逆流を何とか泳ぐようなものです。だから努力が必要です。自分に寛容になって頑張ってください。

新しい習慣として受け入れてください。同じ場所で同じ時間に毎日するようにしてください。習慣を育てるのは、実践です。

一日を振り返って、いつが最適な時間か選びましょう。朝方では無かったら、実際コーヒーを飲み終わるまで自分の顔さえ見れません。夕方まで待ちましょう。毎晩疲れ切って帰ってくるなら、朝にトライしてみましょう。

柔軟であろうとしてください。朝失敗しても、クリエイティブに。マインドフルを生かして、仕事で音をたてないように歩いたり、眠りにつく前に坐ってみたり。すぐにあきらめないようにしましょう。

優先化をしましょう。あなたは何とかして、メディテーションは歯ブラシやシャワー、食事や何であっても、それと同じくらい重要なものだと脳みそに叩き込む必要があります。メールを返す時間の多さと、メディテーションの時間の少なさを考えるとホント複雑な気分になります。Hmmmmmm…

動機を設定しましょう。なぜ今日はメディテーションをするのか坐るときに自分にたずねましょう。何が起こるでしょうか。何が一番大きい理由なのか。実践が難しくなるたびにそこに戻ってください。解放されたマインドのためにはある程度の仕事とリマインダーが必要です。

何とかなるだけの時間をとりましょう。簡単に思えないなら一時間も苦しむことはやめてください。20-30分で十分です。スケジュールに合わないなら5分でも神経の回路を活性化することができます。

もしすべてのことに失敗したら、大事な自分をクッションにおいて三回深呼吸してください。

時には坐ることは本当に不可能だと感じます。その時は代わりに、その時間で本を読んだり日記をつけたりして、やる気だすような活動をしましょう。

無茶苦茶になっても、自分にやさしく。私はいつもこれを言いますが、もう一度言います。これが実践をしてゆく秘訣です。

本寝坊主
正直に言うと、

なぜ一般の方がこれだけやる気を起こしているのか

わからないのですが…、

 

彼女が言う“メディテーションの実践”のために、

日本のお坊さんは修行者同士集まって山にこもって、

集団で修行生活を送るわけですから、逆にそれを社会で行うのが

いかに大変なのか、彼女のかいた文章で勉強させてもらいました。

 

個人的には誰が誰でもするべき!とはおもいませんし、

楽しいことを我慢してまで修行しなくてもいいと思いますが……。

 

楽しいことが見当たらなくなったら修行してもいいとおもいます。



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