この記事は、パブリックドメインとなった『大法輪閣版 澤木興道全集』を元にして読みやすいように再編集したものです。 昭和の時代に“最後の禅僧”と呼ばれた高僧の言葉をコメントと共に紹介いたします。 |
前回はこちら
朗読していただきました!↓
元旦に人事行礼といって、おめでとうと言う挨拶をする。方丈(住職)を前において香を焚いて「此日改歳(カイサイ)の令辰(レイシン)謹んで嘉悰(カソウ)の儀を伸ぶ、即日気運極めて寒し、恭しく惟れば(ウヤウヤしくオモンミれば)堂頭和尚尊侯起居万福(ドウチョウオショウソンコウキキョバンプク)」といってお辞儀する。「どうぞおまめさんで……」ということである。こんな肉体のごとき、体温計の上がったり下がったりする垢のついた体を、べつに大切にというのではない。真に仏道につかえる身を大切にというのである。
そこで何がめでたいかを工夫参究する。正月の工夫です。一番めでたいものになりたい。めでたくありたい。めでたくしたい。わたしは道元禅師の歳朝の上堂、元日の説法を紹介したいと思う。
歳朝の上堂(サイチョウのジョウドウ)挙す宏智古仏天童に住す(コす ワンシ コブツ テンドウにジュウす)歳朝上堂していわく歳朝坐禅万事自然(サイチョウのザゼン バンジ ジネン)心心絶待仏仏現前(シンシン ゼッタイ ブツブツ ゲンゼン)清白十分江上雪(セイビャク ジュウブン コジョウのユキ)謝郎満意釣魚船(シャロウ マンイ ウオをツるフネ)参(サン)師曰大仏拝読其韻(シ イワく ダイブツ ソのインをハイドクせん)良久曰(リョウキュウしてイワく)大吉歳朝喜坐禅(ダイキチ サイチョウ ヨロコんで ザゼンす)応時納祐自天然(トキにオウじて ユウをイれ オノズカらテンネン)心心慶快笑春面(シンシン ケイカイして シュンメンをエましめ)仏仏牽手入眼前(ブツブツ テをヒいて ガンゼンにイる)呈瑞覆山盈尺雪(ズイをテイし ヤマをオオう エイセキのユキ)釣人釣己釣魚船(ヒトをツりオノレをツり サカナをツるフネ)
男なのか女なのか会社員なのか自営業なのか 大人か子供か妻か夫か。 そんなことは、坐っている自分と全く切り離して ただ坐ることを「自分になり切る」と言っています。 本当の自分といって、わかるのは今ここの自分だけです。
やんややんや騒ぎ立てるのをやめるのを 銃を構えた兵隊に「打ち方止め!」と 号令をかけることに例えた話を老師はよくします。
とりあげているので、難しい漢詩が出てきますが
読むのしんどいので読み飛ばしてもらっても大丈夫です。
なんとなく漢字の意味だけ想像してもらえれば。