この記事について “修行”についてのよくある誤解について。 お坊さんの修行、ホントは何やってるの? 曹洞宗の修行について私達の経験から語ります。 |
修行してる?殴ってみてもいい?
そういう側面で見られるのが正しいのではないですか?
僕たち、もちろん自分なりに真面目に修行にとりくんでいますが
“修行者”っていうと一気にイメージが
こんなかんじになりませんか?
火焚くか、滝に打たれるか、坐って叩かれるかのどれかですね。
あと全部キツい。
とりあえず肉体を痛めつけること=修行
って感じですかね?おそらくは。
われわれ坐禅以外やったことないですよ?
お坊さんとして人と話すと
大抵ほとんどの人に
「滝に打たれたことある?」
とか
「何日間寝ないで動ける?」
とか言われません!?
「坐禅はするけどそれはやったことないなぁ…」
としか言えないじゃないですか!?
宗派違うし。
みるみる失望の色に染まってゆくのを見るたびに
こちらもなんとなく悪いことした気分になるって……
坐禅の話をした後
ただ坐ってるだけっていうとがっかりされますが
「……あ、でも棒でたたかれる?……痛い?」
ってフォローみたいな質問されるの、なんなんでしょうね?(笑)
(つらいことしてるんだよね?わかるよ?)
と言いたいかのような気づかい
心が痛いです。
あ、うん。ってなります。
なんともいえない、びみょーな雰囲気になって終わります。
寝ない 食べない 痛くない!
“苦行”のことですよ?
苦行っていったら、お釈迦さんもしこたまやったし
修行者の大きなイメージの一つですから
それは間違ったイメージともいえないけど……。
最終的にお釈迦さん自身は苦行の肯定はしてませんからね。
もちろん、だから苦行を全くするべきじゃない!とは思いませんが
苦行=修行となると
つらいことしたやつがエライ選手権
が始まります。
何十時間不眠不休の~
飲まず食わずで~
死ぬほどの痛みを我慢して~
の寝ない食べない痛くないが三大人気お題です。
一般社会でも存在するからね?
会社員やってた頃にそんな自慢するやつゴロゴロいたよ?
ってやつですね。
これはみんなウザいと思いますが
「つらいことしている人ってなんかエライ」
というのは結構みなさん感じるんじゃないですかね。
すごいことのように思いますが
おそらくどの職業や専門分野においても
一般人からしたら考えられない荒行をしている
というケースは多いです。
肉体的な面で言ったら、もちろんプロのアスリート
もっと言えば高校の野球部のほうが
お坊さんよりつらいことしてます。
芸術家やクリエイターの方々はもちろん
会議のプレゼン資料作る商社マンのほうがしんどい思いしているんじゃないかな。
たまに超人レベルの人間いますからね。
というイメージは間違いとはいえませんが
一般的な人たちに比べて、もっとつらいことしている
とは言い切れないことが多いです。
お坊さんの中でも、わたし厳しい修行をしてます!って言いきれるほどの
過酷なことしている人ほとんどいませんし。
われわれだって坐禅をとにかくやる
ってだけで、特別なことをやっているわけではないですし。
一日15時間五日間ぶっ続けで坐る
というとすごそうですが
坐っているだけ
ですからね。
肉体的には。
それをどう坐るかが “修行” に関わるわけですから
修行の話をするのであれば、そこを話したいんですよね。
それをすべて苦行に置き換えて話をされると
ややこしくて話が続きません。
“のりこえる” という面があるのは確かですが
普通に働いている人にも同じような経験や
ノウハウがある場合も、もちろんあります。
社会のほうがストレスフルかも……。
「修行」「悟り」何が違いますか!
“「悟り」に到達するまでの努力”
という文脈で使われることが多いですが、
「悟り」に導かれた
“納得” の上で行われる生き方
という本来的意味合いも無視できないはずです。
特に後半は、あまり下手に言及したくないけど
悟るために修行する!
ってイメージが大きいのは確かです。
そうだともいえますしね。
ただ、修行が手段でしかなくて悟れば修行は必要ない
というのは全くの誤解であることは間違いないですね。
ナニカを求めて修行するっていうとすぐ叩かれます。
もちろん求めるものがあるから修行するんですが
ナニカを求める中では「悟り」が実現されない
という単なる構造的問題によって
その指導方法が選ばれてます。
とにかく、そのうえでの行為なので
手段として“修行”をとらえていると
おそらくそれはただの努力や辛抱に
なってしまうだけです。
むしろ修行ということが、そのまま悟りであると言うのであれば
修行が目的そのものである、と言えなければならないわけです。
「俺は求めるものなんか何もない…っ!」
と言い張る修行者が出てくるわけですが。
難しい問題なんです。
言い張ってるならいいじゃないですか。
修行については、またいつかしっかりと細かくお話ししましょう。
われわれも禅僧のはしくれ!
いかに禅修行が魅力的か
そして同時に現代においては
いかに禅修行がオワコンか
をいつかしっかりお伝えしましょう!
まとめ
- つらいのが修行だと野球部とお坊さんの区別がつかない。
- 坐禅の時叩かれる棒、意外とすぐ折れる。
- 悟りと修行の区別つかなすぎて禅修行はオワコン……!?
真面目?な禅修行についての話はこちら!(↓)
“修行者”として見られているわけですよね?