この記事について 世間でよく聞く「ありのまま」 もう我慢できません!そんな簡単なことじゃないです! 「あるがまま」って言ってればいいと思ってるでしょ!? そんな思いで書きました。 ちょっと難しくなるかも……。 |
あるがままでいいんじゃよ……
めずらしく陽気ですね?
アナ雪流行ってから、だいぶたっているのに
いまだに仏教業界では、
「ありのまま」
言いすぎじゃない?って思いまして。
ありのまま。
素敵ですよ?
こう安易に使われまくっていると、
本当に仏教的な“ありのまま”の肯定、
ホントにわかってる?
って思うんですよね。
“ありのまま”についてお話をしようと思います。
すでに察知したので最初に言っておきます。
これ、めちゃめちゃ複雑で難しい話になります。
ありのままでよくなったらもうそれ仏
だってこれ“仏になる”話と同じです。
本来そこまでむやみやたらに言われてもいいような
言葉ではないですからね。
それではまず、仏教の法話でよく聞くフレーズですが
「その身そのまま、ありのままが仏」
とか
「ありのままの自分を受け入れることが修行」
とかのフレーズ
とてもよく聞きますが
聞きあきました
便利なフレーズですから…。
誰が聞いてもなんとなく
自分のことを肯定されている気になりますから。
禅でいうと
「即身是仏」
「平常無事」
のようなことです。
これは知らなくてもいいところですが
一度ブックレビューで言及してますので、気になる方は
コチラで紹介した本を読むとわかりやすいです↓
「あなたはそのままで仏」
「そのままで元から問題ない」
ってことを言ってますね。
でも、そうだとすると
「そのままでいいなら、なんもしなくてよくない?」
ってなるのあたりまえですよね?
もちろん、本来は師匠について
“ありのまま” とは一体どういうことなのか、
それをしっかりと指導の下で見極めるべきだけど
今の時代では師匠、なかなか見つからないので【禅修行ってなに?②】
師匠が見つからずとも、誤解だけは少なくするため
“ありのまま”については、誰かがしっかり説明するべきですね。
仏教が言う“ありのまま”の肯定には
大きく分けて三種類あります。
ひとつひとつ説明しますが、例として「ホクロ」を使いましょう。
たかがホクロされどホクロ
どうせなので顔の上に、とっても大きなホクロがあることを
心の底から気にしているAさんがいるとします。
そしてその人にお坊さんは言うのです。
「ありのままでいいんだよ」
と。
ありがちですね…。
「は?あんたに何がわかるの?」
と。
どんなにまじめなお坊さんであっても
仏教の“ありのまま”を安易に使うと
しばしば大きな誤解を生みます。
なぜなら仏教のありのままは本来ならば
普通に考える“人間”のありのままではないですからね。
何度も言っていますが
仏教は“すごい人間”や
“よりよい人間”になるためのもの、ではありません。【ホトケってなに?】
たしかに安易な“ありのまま”説法には苦々しい思いがしますね。
それなら、むしろ禅の師匠のように
「お前なんてクソ拭いたトイレットペーパーみたいなもんだから
そんなお前にハエがとまってもホクロがついても何も変わらん」
みたいに完全にアレな発言したほうがまだイイと思います。
たしかに的は射ています。
禅僧なんて、そんな感じのことすぐ言いますし……。
気を取り直して、それでは
この後どのようにAさんが“ありのまま”を受け入れるのか、
三つの場合に分けて考えてみました。
一つ目は、
「ホクロを物理的に取り除く」
または
「ホクロがあるのが我慢できないが頑張って我慢する」
です。
もし成功して、ホクロが気にならないようにはなっても、
根本的な解決ではないので、
ホクロの後には、
「肌荒れが~」とか、「毛穴が~」とか
おなじようなことで悩み続けます。
でも、大抵お坊さんとお話しするのは短い間ですから
直接会ったり話を聞いたりしたときは
「ありのままのわたしってそのままでいいはず!」
という自己肯定感がちょっとあるので
その場はなんとなく解決した気になるでしょうね……。
では、今回はここまでにして、次回続きを話しましょう。
次回は、第二のパターンから
仏教的な“ありのまま”をどのようにAさんが
理解してゆくかを話してもらいます。
まとめ
- “ありのまま”って言っとけばいいと思っちゃう
- あなたどこの雪の女王?
- “ありのまま”の苦しみはまた生まれる。
すがたみせ~るの~よ~