この記事について 法話でよく使われる「ありのまま」を本気で分かってもらうなら、 お坊さんになってもらう位の気合いが必要なんですよね…。 「アナと雪の女王」からだいぶ時間が経ったので これくらいの本格的な内容詰め込んでも、お子様たちは来ないと思いまして……。 |
OK。まずは出家だ。
前回はこちら
というかAさんが
お坊さんになって修行した場合です。
しかたないんです。
絶対にお坊さんにならなきゃならない!
ということはありませんが、
少なくとも内容としては、
Aさんは、「ありのままを受け入れるには、修行が必要なんだ」
という理解をした場合ですから…。
お坊さんの行う修行と同じ過程を経て、
“ありのまま”をしっかりわかろうという場合の話です。
たしかに仏教の話であれば、実践としての修行無しに
お坊さんが言っていることが、わかるわけありませんからね。
ホクロの悩みでお坊さんになる人は多くないでしょうが…。
ホクロでなくとも、自分の容姿が受け入れがたく
それが原因で死ぬほど悩む人なんて、たくさんいますからね。
ホクロさえなければ!という自分。
では、この二つ目においては既にAさんは修行僧
ということで……。
つまりAさんの問題意識はすでに
顔にでかでかと存在する“ホクロ”ではなく
ホクロを気にする“自分自身”であり
それを、どうにかしようとしているわけですね。
“ホクロ”をどのように解決するでしょう?
ホクロがあっても問題ない
ありのままの自分に気づきます。
こう言うのが一番正しい気がするから
お坊さんは“ありのまま”を多用するのです。
それを詳しく説明するために
今“ありのまま”の話をしてるんでしょ?
しっかり別の言葉で説明してください。
今言った“ありのままの自分”ですが
この自分はもはや“自分”ではありません。
そのため、その“自分の顔のホクロ”も
“自分の顔の上のホクロ”ではなくなっています。
わかりにくすぎです。
どのような状態なのか、わかりやすい例でも出してください。
ホクロホクロホクロホクロホクロホクロホクロ
では、「ゲシュタルト崩壊」という現象があります。
例えば視覚的なものだと
「あ」
という決まった一文字を見つめ続けると
あれ?これこんな字だったっけ?
と感じる現象のことです。
お経なんかの漢字が、ずっと並んでる文ではよく起こります。
無無無
無無無
無無無
無無無
無無無
無無無
無無無
と同じ漢字だと、特に起こりやすいですね。
ちなみにこれは般若心経に出てくる無の数と同じです。
そうです。
そのゲシュタルト崩壊という現象が、
“自分”
というものに対して起こった場合を想像してもらいましょう。
“ホクロ”なんてどうでもよくなると思いませんか?
「無」
の点がひとつ増えようが、ひとつ減ろうがどうでもいいのと同じです。
実際ホクロどころではないです。
Aさんの“ホクロ”は、これと非常に近い形で
問題ではなくなります。
自分が今まで気になって仕方がなかったありのままのはずの“ホクロ”、
そんなものは無かった!
ありのままの私なんてない!
という悟りです。
「ホクロを外科手術で取る」
ような単なる解決ではなく
「そもそも、問題にしなくなる。」
ということですからね。
般若心経で言ったら色即是空。
問題であった色が、なんでもない空だったのだ。
と同じ気づきいえるでしょう。
つまりAさんはホクロも含めて
“自分”ではもはや無くなっている
“アレ”です。
意味合いとしては
Aさんは “悟った”
というのと同じわけですから。
だがしかし、です。
Aさんが悟ったとはいえ
“最終解脱者”として、社会に降臨するわけでも何でもないので
Aさんはいぜんとして、顔にでかでかとホクロをつけて
Aさんとして生活をおくるでしょう。
ありのままなんてなかったとはいえ
ありのまま生きるしかない人間の話です。
そのとおりです。
“ホクロがある自分”を本当に乗り越えて
人間として生きてゆく
生きていかざるを得ない
Aさんの場合になります。
急に色即是空とか言ってすみません!
まとめ
- “ありのまま” を人に言うなら、弟子にする覚悟が必要
- ゲシュタルト崩壊って、視覚だけじゃなくて他の感覚でも起こるらしいですよ。
- ありのままは“空”であった。色即是空。
次はこちら!
ホクロがありのままになることについてです。
ホクロが気になって気になって仕方がないAさんが
お坊さんに“ありのまま”を説明してもらった場合の
第二のパターンはなんですか?