この記事について ついに色即是空とか言い始めちゃいました。 でも聞いたことありますよね?色即是空。 お坊さんだったら法話で「ありのまま」使うときには これくらいの意味を踏まえて解説してほしいです。 そうでなければ「ありのままでいいんだよ」は単なる無責任発言一歩手前です。 |
♪色即是~空~空~即是~色♪
前回はこちら
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/hair_skinhead_megane-e1534560889620.png)
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/sichifukujin_hotei-e1534560822480.png)
「空」はまだ解説していないので
読み飛ばしてもらってもかまわないのですが
遊心さんが言っていたように
これまでは色即是空という言葉で
表されていることの理解です。
そこにあるモノはモノと思っている自分も含めて
空である。
どうしても言いたいなら「アレ」という他ない。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/hair_skinhead_megane-e1534560889620.png)
色即是空。
詳しい空の思想については、こちら!
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/sichifukujin_hotei-e1534560822480.png)
空即是色
の側面についての話です!
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/hair_skinhead_megane-e1534560889620.png)
「“ありのまま”なんてものはもともと無いぞ!」
となった後でも、どうしようもなく存在する、
“ありのまま”の話ですね。
たしかに第三のパターンとしてふさわしいですね。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/sichifukujin_hotei-e1534560822480.png)
“自分”がゲシュタルト崩壊的に“自分”ではなくなっても、
Aさんは、Aさんとしての自分を忘れるわけではないですし、
実際Aさんとして生きていかざるを得ないでしょう。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/hair_skinhead_megane-e1534560889620.png)
“自分”が“自分”で無くなったら
単純に生きていけませんからね。
わたしのありのまま?ありのままのわたし?
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/sichifukujin_hotei-e1534560822480.png)
ホクロをでかでかと付けて生きなければならない。
ということになります。
ここで、受け入れることになる“ありのまま”が第三パターンです。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/hair_skinhead_megane-e1534560889620.png)
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/sichifukujin_hotei-e1534560822480.png)
“自分”が“自分”でなくなる、
つまり、
無我
という事態において生じる
体感的理解をもとに
べつにホクロとか
ついてても
ついてなくてもかわらないや
という状態ですね。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/hair_skinhead_megane-e1534560889620.png)
おそらくゲシュタルト崩壊的な経験をしたら
それまでほどには“自分”が確固とした
固定的な存在ではない気がしてくるはずです。
その理解を深める過程で
それまでの問題が
どうでもいいなぁ
となった後ですね。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/sichifukujin_hotei-e1534560822480.png)
どうでもいいとはいえ
もちろんデカいホクロがあるんですが
それもどうでも良くなります。
もちろん、一度どうでもよくなっても、
どうせまた気になると思いますし、
ある時わかったらそれで一発解決、とはいかないのですが。
とりあえず、ここで初めてAさんは仏教的な意味で
ありのままを受け入れた、
ホクロ克服と言えるでしょう。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/hair_skinhead_megane-e1534560889620.png)
「ホクロとかよく考えたら別に
うんこにハエついてるかどうかと同じくらい
どぉ~でもいい!」
ってなってるでしょうね。
ありのままでいいんだよ(あなたのとはいってない)
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/sichifukujin_hotei-e1534560822480.png)
このような形になって、
はじめて“ありのまま”という言葉がしっかり伝わった
と言えると思います。
もはやお坊さんとAさんではなく
師匠と弟子になっちゃいました。
おそらく何を言っているのか
わからなかった部分もあったと思いますが
これまでの記事で書くように、師匠を探して
修行した上での理解ですから、ご了承ください。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/hair_skinhead_megane-e1534560889620.png)
すくなくとも、世間で軽々しく言われるような
“ありのまま”では、仏教を誤解するどころではなく、
下手したら人生めちゃくちゃにしてもおかしくないです。
いや、結果的に一度はめちゃくちゃになるんですが。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/sichifukujin_hotei-e1534560822480.png)
“ありのままの自分を受け入れなさい”って言葉を、
これまでの文脈で直訳すれば、つまり
「人間をやめてみて、
そのあともっかい見てみて?」
ということですからね。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/hair_skinhead_megane-e1534560889620.png)
安易に“ありのまま”めざすより
大抵の場合、
ふつうに適切な解決策探したほうがいいですよ。
ホクロが嫌なら外科手術で取りましょう。
お坊さんが言う「ありのままでいいんだよ」は、
決して
「君が思っている君のままでいいんだよ。」
という意味ではなく、
むしろどちらかといえば、
「君なんて道端の石ころと同じような存在なんだから
でっぱってるだの、へっこんでるだの言っても
しょせんは石ころですよ。」
に近い意味です。
![](https://buddhismare.net/wp-content/uploads/2018/08/sichifukujin_hotei-e1534560822480.png)
その通りです。みなさま気を付けて。
よくわからなくてもなんとなく気になるな~
ってひとは是非仏教について調べてみてください。
まとめ
- “ありのまま”は人生狂わすのではなく終わらす。
- 終わらすより、先にやることあるひとは“ありのまま”じゃなくていい。
- 人生やることなくなったら“ありのまま”でもいいんじゃない。
- ありのままの世界観が気に入った人はこの漫画読んでください(↓)
どうしても我慢できなかった“ホクロ”を
そんなものは、気にしている自分も含めて無かったんだ!
という悟りを得るところまでです。