仏教を逆輸入する②:仏教7つの誤解「そんなことブッダは言ってない!?」


この記事について
「仏教を逆輸入する」は海外で有名な仏教サイトから

優れた記事を日本語に要約してご紹介する企画です。

日本文化としての仏教に慣れ親しんだ日本人にとって

時には新鮮な発見もあるかもしれません。

本寝坊主
この記事は仏教をどのように学ぶのかについて

学習と実践のはじめかたを、間違いのないように丁寧に説明しています。

もうすでにアメリカでは常識となった

「仏教は自分を成長させるのに役立つ」

という考えを前提として書かれているのが注目の点です。

元記事はこちら(英語サイトです)

仏教7つの誤解:そんなことブッダは言ってない!?

 

ブッダは生涯でたくさんの教えを説いてきました。

そしてその言葉をいま私たちは聞いています。

 

しかし、こんなことを思ったことがありませんか?

 

「それって本当にブッダは言ったの?」

 

この記事では実際の経典からブッダの言葉を取り出して、仏教の誤解を解きたいと思っています。

 

本寝坊主
今回はパーリ経典とよばれる、ブッダの時代に近い経典を使っていきます。

少し勉強したことがある人なら、仏教の誤解がとけるかも!

 

1.人生は苦である

 

これは仏教の中でも最も大きい「誤解」の1つです。

 

仏教の人気がある本や学問的な本でもよく紹介されています。

 

「人生は苦」であるということは、ブッダが説いた四聖諦(悟りへつながる四つの真理)のうちの最初の1つ(苦諦)の要約でしかありません。

生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。

怨憎するものに会うのは苦である。愛するものと別離するのは苦である。求めて得られないのは苦である。要するに五取蘊(認識された現象すべて)は苦である。

 

ブッダは人生における、苦を構成するもののリストを挙げましたが、

「人生は苦」だとは言っていません。

 

四聖諦の続きは、苦の原因、苦の滅尽、そして苦の滅尽に至る道も説いています。

 

人生はただの苦しみ以上の意味があるということです。

 

本寝坊主
ブッダは「人生は苦。はい、おしまい」

とは言ってないんですね。

 

「人生には苦しみがあるけど、それはなくすことができる!」

と力強く宣言したんだ。

 

2.過去の愛は記憶にすぎず、未来の愛は夢にすぎない。本当の愛は”今・ここ”にある。

 

これは、仏教を教えに行った家の浴室の鏡に貼ってあったんです。

 

ブッダが言ったこととは何の関係もなくて、この発想がどこからきたのか私にはわかりません。

 

本寝坊主
確かにいい言葉だね。

「愛」は日本では使われないけど、「自分」とかに置き換えればそれっぽく聞こえてしまうよね。

僕はいい言葉だと思いますが、ブッダは言ってない。

3.私は存在しない

 

これも大きな「誤解」です。

 

「私は存在するのか、しないのか」

 

こう聞かれたときに、ブッダは答えませんでした。

 

「私は存在する」「私は存在しない」

この見方はどちらも私たちを苦に陥らせる考えである、としています。

 

ブッダは「私ではない(無我・非我)」と教えを説いたとき、あくまで、私たちが執着を克服できるようにそう言いました。

 

「私が」「私のもの」と思うことによって、心が何かに執着してしまうのを防ぐ方法として教えていたのです。

 

また、「すべてとつながっている自分」ともブッダは言っていません。

 

ブッダは自己が存在するか、しないか、という議論にはかかわらなかったのです。

 

本寝坊主
「無我」の問題ですね。

こういう問題についてブッダは何も語らない「無記」という態度をとったんだ。

 

「無我」、「非我」と「無記」は複雑なところだけど面白いトピックです。

興味があるひとは調べてみてください

 

4.すべては無常である
5.苦は変化に抗うことから生じる

 

この2つの誤った引用はよく一緒に用いられることがあります。

 

1つ目に関して、もしすべてが変化するなら、苦しみから逃れる方法はただ一つです。

 

「あらゆる幸福は一時的であると思い、何かを続けようとするのもやめること。」

 

 

なんて惨めなメッセージでしょう!

 

 

運がいいことにブッダは、すべての「でっちあげられた」ものは一時的だと言っています。

 

私たちが知覚できるすべてのものは、条件によって形作られたという意味で「でっちあげられた」ものです。

 

しかし、私たちが経験できる「でっちあげられていない」ものがあります。

 

それは「ニルヴァーナ(涅槃)」です。

 

ブッダが言うように、ニルヴァーナは究極の幸福です。

 

変化や死、あらゆる制限から自由になります。

 

だからブッダは、条件づけられていない(でっちあげられていない)幸福へ至る道を教えたのです。

 

 

もし仏教が

「ヘイ!幸せは続かねえんだYO!もう考えるのやめろYO!」

という教えだったら、こんなにながく続きませんよね。

 

 

2つ目に関して、ブッダは実際にはこういいました。

 

「変化することと自分を同一視するから、人々は苦しむ」

 

心が十分に強いなら、何かと自分を同一視する必要はありません。

このことが分かれば、その時こそ私たちが苦しまなくなる時です。

本寝坊主
これに関しては、仏教をよく知っている人でも見られる誤解ですね。

 

諸行無常の「諸行」は一切なんだけど、それは有為法のことで、無為である涅槃は含まれていない、というのが教義上あります。

 

ただ、大乗仏教は「生死即涅槃」といって、涅槃をもっと近いニュアンスで話すから難しいとこだけど・・・・・・

無常ってなに?:つづかないよ!

2018年8月21日

6.もしあなたが誰かの過去の行動を見たいなら、その人の現在の状況を見なさい。未来の状況を見たいのなら、その人の現在の行動を見なさい。

 

7.1000本のロウソクは1本のロウソクから灯される。そして、最初のロウソクの火は消えない。同じように、幸福は誰かと共有されることによって消えることはない。

 

本寝坊主
上二つは日本ではあまり面白くなかったので省略します

結局、ブッダはこんなこと言ってないよって話です。









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