学習と実践のはじめかたを、間違いのないように丁寧に説明しています。 もうすでにアメリカでは常識となった 「仏教は自分を成長させるのに役立つ」 という考えを前提として書かれているのが注目の点です。
仏教7つの誤解:そんなことブッダは言ってない!?
ブッダは生涯でたくさんの教えを説いてきました。
そしてその言葉をいま私たちは聞いています。
しかし、こんなことを思ったことがありませんか?
「それって本当にブッダは言ったの?」
この記事では実際の経典からブッダの言葉を取り出して、仏教の誤解を解きたいと思っています。
少し勉強したことがある人なら、仏教の誤解がとけるかも!
1.人生は苦である
これは仏教の中でも最も大きい「誤解」の1つです。
仏教の人気がある本や学問的な本でもよく紹介されています。
「人生は苦」であるということは、ブッダが説いた四聖諦(悟りへつながる四つの真理)のうちの最初の1つ(苦諦)の要約でしかありません。
生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。
怨憎するものに会うのは苦である。愛するものと別離するのは苦である。求めて得られないのは苦である。要するに五取蘊(認識された現象すべて)は苦である。
ブッダは人生における、苦を構成するもののリストを挙げましたが、
「人生は苦」だとは言っていません。
四聖諦の続きは、苦の原因、苦の滅尽、そして苦の滅尽に至る道も説いています。
人生はただの苦しみ以上の意味があるということです。
とは言ってないんですね。 「人生には苦しみがあるけど、それはなくすことができる!」 と力強く宣言したんだ。
2.過去の愛は記憶にすぎず、未来の愛は夢にすぎない。本当の愛は”今・ここ”にある。
これは、仏教を教えに行った家の浴室の鏡に貼ってあったんです。
ブッダが言ったこととは何の関係もなくて、この発想がどこからきたのか私にはわかりません。
「愛」は日本では使われないけど、「自分」とかに置き換えればそれっぽく聞こえてしまうよね。 僕はいい言葉だと思いますが、ブッダは言ってない。
3.私は存在しない
これも大きな「誤解」です。
「私は存在するのか、しないのか」
こう聞かれたときに、ブッダは答えませんでした。
「私は存在する」「私は存在しない」
この見方はどちらも私たちを苦に陥らせる考えである、としています。
ブッダは「私ではない(無我・非我)」と教えを説いたとき、あくまで、私たちが執着を克服できるようにそう言いました。
「私が」「私のもの」と思うことによって、心が何かに執着してしまうのを防ぐ方法として教えていたのです。
また、「すべてとつながっている自分」ともブッダは言っていません。
ブッダは自己が存在するか、しないか、という議論にはかかわらなかったのです。
こういう問題についてブッダは何も語らない「無記」という態度をとったんだ。 「無我」、「非我」と「無記」は複雑なところだけど面白いトピックです。 興味があるひとは調べてみてください
4.すべては無常である
5.苦は変化に抗うことから生じる
この2つの誤った引用はよく一緒に用いられることがあります。
1つ目に関して、もしすべてが変化するなら、苦しみから逃れる方法はただ一つです。
「あらゆる幸福は一時的であると思い、何かを続けようとするのもやめること。」
なんて惨めなメッセージでしょう!
運がいいことにブッダは、すべての「でっちあげられた」ものは一時的だと言っています。
私たちが知覚できるすべてのものは、条件によって形作られたという意味で「でっちあげられた」ものです。
しかし、私たちが経験できる「でっちあげられていない」ものがあります。
それは「ニルヴァーナ(涅槃)」です。
ブッダが言うように、ニルヴァーナは究極の幸福です。
変化や死、あらゆる制限から自由になります。
だからブッダは、条件づけられていない(でっちあげられていない)幸福へ至る道を教えたのです。
もし仏教が
「ヘイ!幸せは続かねえんだYO!もう考えるのやめろYO!」
という教えだったら、こんなにながく続きませんよね。
2つ目に関して、ブッダは実際にはこういいました。
「変化することと自分を同一視するから、人々は苦しむ」
心が十分に強いなら、何かと自分を同一視する必要はありません。
このことが分かれば、その時こそ私たちが苦しまなくなる時です。
諸行無常の「諸行」は一切なんだけど、それは有為法のことで、無為である涅槃は含まれていない、というのが教義上あります。 ただ、大乗仏教は「生死即涅槃」といって、涅槃をもっと近いニュアンスで話すから難しいとこだけど・・・・・・
6.もしあなたが誰かの過去の行動を見たいなら、その人の現在の状況を見なさい。未来の状況を見たいのなら、その人の現在の行動を見なさい。
7.1000本のロウソクは1本のロウソクから灯される。そして、最初のロウソクの火は消えない。同じように、幸福は誰かと共有されることによって消えることはない。
結局、ブッダはこんなこと言ってないよって話です。
優れた記事を日本語に要約してご紹介する企画です。
日本文化としての仏教に慣れ親しんだ日本人にとって
時には新鮮な発見もあるかもしれません。