元記事はこちら(英語サイトです) LION’S ROAR「The Guidelines of Buddhism」by KOUN FRANZ
仏教のガイドライン
最初に仏教に関わろとしたとき、自分が何を求めていたのか、私はあまり覚えていません。
それはどんなものだったのでしょうか。
私は、新しい道徳的なガイドラインは求めていなかった、ということは覚えています。
私はとても緊張しがちな子供でした。
そして、仏教の中に何か緊張をほぐしてれくれるような(今までの自分とは違う)道を見たような気がしました。
だから、仏教の「戒」を授けてもらった時、私は全くワクワクしませんでした。
私はその元々持っていた意味を考えるようなことはしなかったのです。
正直に言って、これまでは多くの質問によって、「戒」を不器用ながら理解しようとしてきました。
日本だと仏教は道徳的にいい人間になること、という文脈が多いと思います。
戒を受けた際にワクワクを感じなかったというのは、自分をほぐしてくれると思っていた仏教から、
束縛を受けるような気がしていたのでしょう
仏教の五戒
基本的なものは5つあります。
- 不殺生戒(生き物を殺してはならない)
- 不偸盗戒(当たれられていない模ものを盗んではいけない)
- 不邪婬戒(不道徳な性行為をしてはならない)
- 不妄語戒(嘘をついてはならない)
- 不飲酒戒(酒など人を酔わせるものにおぼれてはならない)
表面上、これらは実際に維持することが不可能であるように見えます。
たとえば、インターネットでは「私たちは寝ているときに数多くの虫を食べている」ということが書いてあります。
そして現代の複雑な経済では、いつ上手く行って、いつ失敗したのか、明確にすることは非常に難しい。
他にも例えば、facebookで「いいね」ボタンを何気ない気持ちだけで押したら、それは嘘になるのでしょうか?
それと同時に、「戒」はあまりにも曖昧です。
もし私がひねくれているなら、自分の1番したいことが社会的には悪いことであったとしても、
仏教の「戒」を使えば、説得力のある物語をでっちあげて、それを理由に実行することができます。
そうなると最終的に「戒」は単なる街の雑音と同じになる可能性があります。
しかし、私たちがどのような場所にいるときでも、“「戒」の意味は何なのか” ということを考えれば、
“「戒」がどのように自分や他人の役に立つか” について目を背けられないはずです。
「戒」は少なくとも、今この瞬間というステージの上に立つことを助けてくれます。
日本でこのような視点からみることはあまり見かけませんね。
こんなことお坊さんの前でいったら、「理屈ばかりこねるな」と言われます。
新しい文化を取り入れる時に必要なことは、良い意味での批判的な視点です。
そのうえで、本当に「自分に役立つ」ことを見つければいいと思います。
これから日本で仏教を受容しようと思っている人たちにとっても、
理解できないことにフタをするのでもなく、盲目的になるのでもないやり方が必要ではないでしょうか。
おすすめ記事
『ブッダの自転車(サイト内和訳記事)』という記事で、Zachary Bremmerは仏教の「戒」は自転車の補助輪のようなものである、と言っています。
はじめは乗りこなすのを助けてくれますが、後になるとそれは大事なことではなくなります。
「瞬間から瞬間」という現実の代わりになるものではありません。
『The Problem of Evil』という記事ではNorman Fischerは戒律を調べるために3つの視点(字義的、慈悲的、絶対的)を使っています。
これらは、1つの視点を選択して使うものではなく、3つ同時に使うものだといっています。
『The New Wave of Psychedelics in Buddhist Practice』において、 Matteo Pistonoは、
話す相手に応じて「五戒」を異なる視点からみるか、完全に無視するか、という仏教の師匠と弟子の世界に焦点をあてています。
どれもなかなか面白い視点だと思います。
優れた記事を日本語に要約してご紹介する企画です。
日本文化としての仏教に慣れ親しんだ日本人にとって
時には新鮮な発見もあるかもしれません。