仏教文化ってなに?②:日本の“仏教”


日本の仏教、お葬式しか思い浮かばない人も多いです。

そんな日本人が驚く仏教文化が海外で成長して

これから日本の仏教文化はどうなっていくと思いますか?

前回はこちら!

仏教文化ってなに?①:海外から見る「仏教最強決定戦」

2018.09.05

アメリカのマインドフルネス、日本の葬式

道宣
仏教を文化面から見る、第二回目です。
遊心
はい。

前回はアメリカの文化について

話題のマインドフルネスを扱いました。

その国の、生活に最も適した形

仏教は文化として取り入れられる。

というお話です。

道宣
海外では

“自分を成長させる”為のトレーニングとして

 

一般的に広まって、

仏教の“修行”が文化となった形ですね。

 

正直うらやましいです…。

 

 

しかし、それをいうのであれば、やっぱり気になるのが

日本の仏教文化は誰のためにできた文化なのか?

というところだと思います。

遊心
はい。気になります。

特に日本仏教の文化として一番思い浮かぶ、

葬式

などが、果たしてどのように人々に貢献しているのか。

 

という部分を考えてみたいですね。

道宣
お寺でお葬式をするのが一般的になったのは

江戸時代ごろだと言われています。

遊心
市民が皆、所属する近所の寺を持ってからですね。

戸籍替わりにお寺で個人情報を管理してますし、

自治体のような、行政の代わりがお寺でした。

道宣
はい。

 

そのような政治上の役割があったことも

大きな理由ですが、とりあえずとっても歴史がながい

つまり、当時はそれなりの理由があったことを

押さえておいていただければいいとおもいます。

 

現代の「仏教文化」として扱うのであれば

“なぜ、お坊さんがお葬式をやらなければならないのか”

を考えるべきでしょう。

仏教のお坊さんにわざわざ頼む理由がなければ、

べつにやりたくない人はやらなくていいわけです。

 

昔は偉い人だった。お坊さん。

遊心
そうですね。

現代ではそのあたりをしっかりと考える人が増えてきましたが

一昔前は人が死んだらお坊さん呼ぶのが“あたりまえ”でした。

道宣
歴史上の理由はひとまずおいて、

なんでお坊さんなんでしょうね?

お葬式でやっている内容からしたら、

儒教や神道のほうが相性がよさそうなものですが。

遊心
たしかに先祖供養という意味ならば

儒教や神道が適任のようにおもいます。

 

あまり意識されていないことですが、

仏教の「お葬式」のほとんどが、

 

死んだ後に悟りを得るための儀式

 

ですからね。

 

 

例えば有名な極楽浄土って、

“極めて楽な場所”

というよりも

 

“修行が、極めてはかどる(楽な)場所”

 

のほうが近いですからね。(笑)

 

 

成仏待ったなし!絶対さとれるよ!の場所です。

道宣
つまりそれだけ、

“悟りをひらいて仏になる”こと自体が、

この世の苦しみから逃れる理想的イメージがあったわけです。

 

もちろんそれを先導するお坊さんも、

 

人の模範となるような立派な方々がおられたでしょうから、

 

お葬式という文化的役割を仏教が担うのも、

 

理解できなくはないです。

遊心
お坊さんがお葬式をする、ということについては

私もなんとなく納得をもっています。

 

お坊さんはやはり“生と死”のエキスパート

であるわけですから、死という直視しづらい出来事を

適切に取り扱う為にはお坊さんが適任、

というのもわかります。

道宣
仏教側から言えば、

やはりそのような民衆の期待にこたえながら

仏教というコンテンツ自体を師匠から弟子へ

時には、在家の修行者へと伝えてきたわけですね。

 

お仕事ください。え?文化ですから。

遊心
はい。

 

何度か言ってきたことですが、

文化として社会的役割を持たなければ、

単純に仏教自体が存続できなくなるため、

 

“文化として国に受け入れられること”は非常に重要です。

道宣
そのとおりですね。

 

ということは、

現在の日本において最もよく聞く仏教批判

 

“葬式仏教”

 

を思い出すと……。

 

もはや文化としてのお葬式は社会的役割として

求められなくなってきている傾向がある。

 

つまり、仏教存続の危機

ということになりますね……。

遊心
それは仕方がありませんね。

 

以前のように何代も続く家は少なくなりましたし、

世間体を気にする必要もない都会の核家族にとって、

葬儀はただ本人の死生観にのみ関わる行事ですから、

 

仏教の死生観よりも、科学的な唯物論のほうが説得力をもつ現代では

仏教的物語はもはや通用しづらいです。

道宣
その仏教的物語はもともと

民衆を救うべくして作られたと言えますが…

ちょっともう古すぎるかもね……。

遊心
科学的検証も効かない世界の話は

現代の人々には受け入れがたいかもしれません。

 

仏教はやっぱり生きてる人のためのもの

 

道宣
“死生観の提供と取り扱い”

今までの日本仏教の文化的役割だったとすると、

それと同じくらいの質を持つコンテンツ

説得力を持つ形で新たに生み出されるはずですが…

 

 

やっぱり……

マインドフルネスですかね?

遊心
でしょうね。

 

 

もうすでにアメリカであれだけ結果を出して

庶民に広まっている上に、

科学的な研究もそれを後押ししているとなれば

まず間違いなく逆輸入されると思います

道宣
そうですよね。

 

あのマインドフルネスって一見

落ちついて日々を過ごす

とか

集中力を上げる

とかのトレーニングだけのように見えますが、

 

やっていることは

ほとんどお坊さんの修行と変わりません。

 

その途上においては、確かに今まで通りの

“死生観”の取り扱いも学ぶことになるでしょうし。

遊心
そうですね。

 

人間の理想的状態である“仏”は、

生きているうちには実現不可能だとして、

「死んでから“仏”になってもらう」

という方法を選んだ日本文化であったのに比べると、

 

 

アメリカではそもそも “仏” と言えば死んだ人ではなく、

どちらかと言えば“スゴイ人間”のイメージがあるので、

 

「人間の理想的状態!?

ワーォ!頑張って修行するよ!

 

となったのが、今のアメリカ仏教文化ですからね。(笑)

道宣
流行の仕方を見ていると明らかに

仏教修行のタブーであった“ご利益主義”

アメリカ特有の“効率優先主義”が混じっているけど、

 

結果として世界のどこよりも大きな規模で

本来的な修行の実践を行っているのが驚きです。

遊心
そうなると、

来るべきマインドフルネス逆輸入においては

現在の日本仏教はどのような立場にあるのかが気になります。

 

次回はその点についてお話ししましょう!

 

まとめ

  • お葬式は別に仏教じゃなくてもよかったけど幕府の都合上いろいろあった。
  • 販売促進しなくてもお客さんくるからちょっと調子乗ったのかも……。
  • 日本人、アメリカで流行ったら絶対マネする伝説

 

次回はこちら!

仏教文化ってなに?③:人の求めるもの

2018.09.08








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