この外道が!!!
「外道」と聞いて何を思い浮かべますか?
意味としては卑怯者とか心無い人の行為として言われたりします。
と言われたらあまり良い気持ちはしませんよね。
六師外道
実はこれ仏教用語です。
もともとは、仏教以外の教え、を指していました。
お釈迦さんが生きていた時代にも、仏教以外を信奉する人たちはたくさんいて、その人たちのことを仏教側からみて「外道」と呼んでいました。
古い経典では「六師外道」という名前で仏教以外の教えの代表的なものが残さています。
当時は結構パンクな考え方が流行っていたみたいで、面白いのちょっと見てみましょう。
- 道徳否定論者
- 決定論者 (宿命論)
- 唯物論
- 七要素説 (不変・永遠論)
- 戒律主義
- 不可知論
ずらずらと並ぶと困惑しますが、仏教もふくめた彼ら六師外道はある共通点をもっていました。
それは、従来の伝統的なバラモン教の祭式主義(生天)を否定して、悟り(解脱)を目指した点にあります。
わかりやすく言えば、現代の若者のような、
という感じです。
それでは皆さんに自己紹介してもらいましょう。
顔出しNGとのことでしたので、編集してお送りします。
道徳なんていらんのじゃい:プーラナ・カッサパ
私の主張は「道徳なんて必要ない」ということです。
何が善で何が悪かは、人間が自分勝手に決めただけで、真実からいえば善も悪も実在しないのです。
さあみんなで「ヒャッハー」しましょう。
もう全部きまってるの!:マッカリ・ゴーサーラ
当時はずいぶんとブッダさんから罵られたマッカリだ。
言いたいことは、すべては運命で決まっているということ。
悟りとか解脱とか、そんなもんはすべて運命で決まってるんだよ。
だから「努力しよう」とかマジ無駄。
悟るやつは自然と悟るし、落ちこぼれるやつは自然と落ちこぼれるんだよ。
だから自分のことなんて気にするな。みんなで「ヒャッハー」しようぜ。
これを受け入れてしまえば、修行や精進の意味もなくなってしまいます。
なので、仏典では最も危険な思想家として扱われたりします。
前前前世とかないからね:アジタ・ケーサカンバリン
えっ、あんた前世とか来世とか信じてるの?
あるわけないでしょ、そんなの。
俺たちは全部物質からできてんだから、死んだらそれでおしまい。
魂とかもただの妄想だからね。
死ぬまで「ヒャッハー」して楽しく生きようや。
殺そうとしてもムダだよ:パクダ・カッチャーヤナ
アジタさんから影響をうけたパクダです。
刀で人を切ったらどうなるかわかりますか?
死にませんよ。
人はあらゆる要素があつまってできてるだけですから。
刀で切っても、それが間を通り抜けるだけで、本来的には「殺した人」も「殺された人」もいません。
さあみんなで「ヒャッハー」しましょう!
真面目こそ正義:ニガンタ・ナータプッタ
ジャイナ教をつくったニガンダです。マハーヴィーラ(偉大な勇者)なんていわれてました
仏教さんとは兄弟宗教ってよく言われましたよね。
やっぱり私は、苦行をやりとげることこそ正義だと思うんです。
私たちの魂は、汚れていますからね。浄化してやらないと。
ブッダさんところは、髪の毛を剃るらしいですが、
うちでは抜きます。
服もいりません。
真っ裸でいきますよ。
真理は色々な方法で表せるとして、何かを判断するときは「~ある観点からみれば」
と制限をつきなければならないとしています。
彼らは自分たちの論法を「最強の論法」としています。
ちなみに、常に裸の修行者(裸行派)は今でもインドにいます。
うなぎのような男:サンジャヤ・ベーラッティプッタ
何?来世はあるかって?
私は、あるとは考えない、来世があるとも、それとは異なるとも、そうではないとも、また、そうではないのではないとも考えない。
何言ってるか分からないだと?
そりゃそうだ。俺もわからん。
ブッダの2代弟子のサーリプッタ(舎利佛)とモッガラーナ(目蓮)は、仏教の前はサンジャヤの教団に所属していました。
お釈迦さんはドロボウ猫だったんですね
いかがだっだでしょうか?
意外にも現代風な思想が多くあったかと思います。
仏教とこれらの思想とは違うとしていますが、かなり影響を受けたところはありそうです。
古い仏典からの話ですが、仏教理解の助けになれば幸いです。
まとめ
- 外道は仏教以外の人たちのこと
- 互いに影響しあっていた。