仏教を逆輸入する⑥:初心者のための仏教とメディテーション


この記事について
「仏教を逆輸入する」は海外で有名な仏教サイトから許可を得て

優れた記事を日本語に要約してご紹介する企画です。

日本文化としての仏教に慣れ親しんだ日本人にとって

時には新鮮な発見もあるかもしれません。

本寝坊主
われわれが記事の翻訳紹介許可をもらっている

Lion’s Roarの編集部による初心者のためのガイドラインです。

英語で仏教を説明するとむしろ日本語よりわかりやすいんじゃないか……と思いました。

元記事では後半に記事紹介の形でメディテーションやおすすめの本を紹介していましたが

英語の本や記事のため割愛しました。

 

元記事はこちら(英語サイトです)Lion’s Roar「Buddhism and Meditation for Beginners」by LION’S ROAR STAFF

 

 

 

 

仏教徒は何を信じているの?

仏教徒はたくさんの異なった信仰や実践を持っていますが、ブッダが発見した基本となる共通の指針は少ししかありません。ティク・ナット・ハン(※ベトナム出身の有名な禅僧)さんはその指針を、無常、無我、涅槃に分けて説明しています。これらは三方印として知られてもいます。

 

 

※三方印についてはこちら(↓)

 

 

Dzongsar Khyentse Rinpoche(※チベット仏教僧、ラマ)はこの三つを四つの点に分けて、四法印として知られるこれらを下記のように説明しています。

  1. 全ての構成されたモノは無常である
  2. 全ての感覚されたモノは苦である
  3. 全てのモノは内なる本質を持たない(無我)
  4. 涅槃は概念を超えている

 

 

※四法印になると「苦」が入ります。

 

 

仏教って宗教なの?

この問いは、あなたが誰に質問するのかによります。また、あなたの“宗教”の定義にもよります。

例えば、われわれはこの質問を仏教思想家をリードする三人に投げかけましたが、三人とも違う答えをだしたのです。

研究者のCharles Prebishは“Yes,”と答え、なぜなら仏教は“究極の真実”とそれを経験する道を肯定するからだと言いました。

チベットの仏教指導者Dzogchen Ponlop Rinpocheは、“No,”と答え、仏教はむしろ、精神の科学であると論じます。

禅の指導者Joan Sutherlandは“Kind of(そうとも言える)”と言います。「仏教への執着は宗教となりうる。しかしあなたの経験はおそらく違うだろう。」

一番重要な答えは、もちろん、あなた自身のものです。それがあなたにとって良いはたらきをするのであれば、それは正しい。

 

 

本寝坊主
宗教の定義って難しいです。

個人的には「どう生きるべきか」の指針として定義していますが

信仰対象として定義するひとも多いみたいですね。

 

科学が宗教の正反対として語られることが多いですが

科学を正しいと思うその根拠は、多くの場合で

神を正しいと思う根拠と同じですから、

同じではなくとも、真逆とは言えないと思います。

 

 

では、つまり、私が無宗教でもいいってこと?

もちろんです。多くの、特に自分自身を“精神は大事にするが宗教的ではない”と感じる人が、仏教の教えと実践は彼らの生活をよりよいものにすることを発見しています。

 

 

仏教に“永遠の命”ってあるの?“生まれ変わり”の概念ってなに?

Anatta(無我)はブッダの教えの中核であり、“生まれ変わり”も同様です。一体どのように一見矛盾した教えを扱えばよいのでしょう。

ブッダは“生死の世界(輪廻)”、繰り返す生と死の輪廻から自由になることを教え、それは無我を理解することで可能だとしました。

“私”や“私の”と言ってしがみつけるものは何もないのだから、“輪廻”とはその“自我”の感覚にしがみついていることに影響を及ぼすもので、その“自我”へしがみつかなくなった者へはなんの意味もなくなります。

何が輪廻かという問いに対しては、ブッダは答えませんでした。わたしたちを苦しみの終わりへと導くすべての教えを見ると、ブッダは理論よりも、人を束縛から解き放つことで彼らを助けることに、より興味があったようです。

 

 

本寝坊主
“輪廻”についてはいつかしっかり取り扱いたいですが

現象として実在するかどうかを問うのは無意味です。

その物語を現実として世界を説明したということの

役割が重要で、それを考えなければならないのですが…。

難しい内容なので日本では、なぁなぁにされがちなこの問題も

初心者用ページでいきなり扱うアメリカの実直さ、好きです。

 

 

法(dharma)ってなに?

Reginald Rayが書いているように、

“サンスクリット語で‘dharma’とは疑いの余地なく最も一般的で重要な仏教語である。仏、法、僧団の三宝(敬うべき三つの対象)の中でも傑出して有名です”

“意味のうちの一つは我々の世界と人生の現実に横たわる本質です。それは、わたしたちが何なのか、誰なのかについてのきわめて根本的な事実です”

“二つめの意味での「法」は、現象です。私たちの人生において、それがそうであるもの。何が好きか嫌いか、何を求めるか求めないか、何を期待するか期待しないかに関わらず。”

“三つめと四つめの意味では、法は仏道(Buddhist path)そのものであり、特にそこへ導く教えのことです。”

 

 

本寝坊主
ダーマの神殿ってありましたよね。

 

日本語では“(仏)法”です。

真実そのもの、とか、本来の在り方をしたもの、とか、教えとか、

いろいろな意味で扱われます。

 

 

 

仏教徒になるには?

もしあなたが上の原則を受け入れるのであれば、あなたは正式に仏教徒として“避難(taking refuge)”と呼ばれる正式な行事に参加可能です。

なぜなら、“涅槃”とは、“無我”と“無常”から逃げようとする自我の無益な探求を放棄することだからです。

“逃げようとする”ことから“避難”するというねじれた構図になっています。これができればあなたは本当に仏教徒です。

 

 

本寝坊主
個々の部分の行事の名前ですが、原文では“taking refuge”となっています。

意味合いから最近はやりの「リトリート」と呼ばれる瞑想合宿のことかと思ったのですが、

「帰依すること(場合によっては出家して僧となること)」を表す英語表現であることをコメントにてご指摘いただきました。ありがとうございます!

 

 

ここの仏教修行の構造についての指摘は、

大変すばらしいもので、おどろきました。

 

「現実から目をそらすことをやめる」ことが

仏教の実践の始まり、ということを言っています。

 



2件のコメント

この記事の「リトリート」のところですが、英語で“taking refuge”と言えば、普通は仏教に帰依する儀式のことであって、瞑想合宿のような”Retreat”とは違います。日本でも生前戒名をもらう儀式があると思いますが、この儀式では三宝に帰依することを誓い、(帰依の象徴として)髪を数本切ってもらい、仏弟子としての名前を頂きます。仏教文化圏以外の人々にとっては、これをもって今まで属していた宗教と決別し、正式に仏教徒となるので、大変重要な儀式です。

慧海様

ご指摘ありがとうございます。
日本で言う御受戒会にあたるような儀式がアメリカでも行われているようですね。
ご教示いただいた内容を記事に反映させていただきました。
どうもありがとうございました。

遊心 拝

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