この記事は、パブリックドメインとなった『大法輪閣版 澤木興道全集』を元にして読みやすいように再編集したものです。 昭和の時代に“最後の禅僧”と呼ばれた高僧の言葉をコメントと共に紹介いたします。 |
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朗読していただきました!↓
仏教ではよく福と徳というが、元旦早々からお年玉の良いのを貰ったからと言って、あるいは、たいそう酒をご馳走になったからと言って、それがめでたいわけではない。かえって二日酔いして頭が痛むくらいである。人間の一番大きな福と徳とは、道心と知恵である。これさえあれば良いのである。
禅寺では十分この福と徳とを反省しなければならんというので、元旦にその儀式がある。まず午前三時に起きて坐禅するのがふつうである。それから祝聖(しゅくしん)といって天皇陛下の聖寿万歳を祝福する祈祷をやる。それからいろいろの行事があって三が日間の儀式がある。まず一番に修正会(しゅしょうえ)というのがある。これは国家の宝祚長久(ほうそちょうきゅう)を祝福する。奈良の大仏さんは修正会の祈祷の堂宇(どうう)である。そうして五日には事始め、説法はじめをする。また五日は達磨日だ。ことに元旦には上堂というのがあるが、これはおごそかな儀式で、この上堂の法語が古来たくさん残っている。
大智禅師の元旦の詩にこういうのがある。
新年の仏法如何(いかん)と問わば
(新年の仏法がいかなるものかと問えば)
口を開いて他に説示することをもちいず
(言葉に出して説明するまでもない)
露出す東君真の面目
(日の出に本来の面目があらわれ)
春風吹ほころばす臘梅花
(春の風が梅の花をほころばせる)
この元旦の詩は非常に結構なもので、まだほかに二首『大智禅師偈頌(げじゅ)』に載っているが、この詩も動物としての人間、夢幻(ゆめまぼろし)、泡影(ほうえい)のような人間を、永遠の仏陀、久遠の我として生きさせようとするのであって、これが仏法の根本問題であり、しかもそれが一番めでたいのである。
ことに元旦われわれがもう永遠に死なない人間になるというのは、われわれの生活の大転換である。ぜひわれわれの行くべき道である。
それがために元旦の上堂にも、元旦の説法にも、この仏道を本当に挙揚(こよう)し、仏道をとくということが、この上もないめでたいことである。人間はただ放っておけば一匹の動物で、色気と食気だけで、あとはゼロである。それから金が欲しい、家が欲しい、オモチャが欲しいという。このオモチャが成人するにつれて念がいる。はじめは母の乳房でよかったが、キャラメル、まり、写真機、自転車、だんだん年寄ると骨とう品を欲しがったり、掛け物を欲しがったり、それで最後はカンオケである。
ちょっとアレですが、当時の人にはグッと来たんでしょう。 ほっておいたらどうしようもない人間を どうにかしようとするために 仏という理想像を設定したという感じで とらえてもらえればいいとおもいます。
食物にしても馬ならば草ばかり食っているが、人間は酒を飲み、刺身を食い、シナ料理結構、ウナギも結構、奈良漬けで茶漬け一杯も、なお結構という具合に、なかなか念が入っている。ただオモチャや食物に念が入っているだけでは、法界からよく見つめたら、ただ一匹の動物に過ぎない。科学者が言うように、生物の本能から見たら、ただ一匹の動物であって、また本能というやつが、どうせ消えてゆく夢幻のようなものである。この人間が永遠の生命、久遠の仏陀として生命を奪い返そうというのが仏教である。そこで元旦のめでたい事にちなんで、仏道というものを根本から説くというのは当たり前の話である。
長生きと言ったところで、何歳まで長生きできるものか知れたものじゃない。わたしは二十五の時日露戦争に行って、首山堡(しゅざんぼう)で弾丸が左のほほから右のくびへ抜けて死んだようになって倒れていた。あの時死んでいたら三十年も昔に満州の土になっていたわけだ。去年満州に行って首山堡に上り、自分が昔号令をかけたところを上から眺めて、あそこでやられたのだなアと思って、自分の墓参りしたような気がした。どうせあの時死んでいたところで損得なしじゃ。けれども、われわれのせんならん仕事は、動物並みの人間をこっちへこいといって、ウンと鼻面を一つ向け直し、我と彼と共に永遠に死なない人間にすることである。これがめでたいのである。
パワーワード過ぎて頭くらくらしますが “死というものへの恐れや不安を乗り越えた” と置き換えてもらえたらわかりよいです。 澤木老師はロシア戦争に行っていたことでも有名です。 戦争の話を法話に組み込んだことで、現代でも 殺生を肯定した!と外国人から文句言われるハメになりました。 かわいそう……。 次回へつづく!
年末から鏡餅を手作りしたり、掛け軸飾ったり……
何より重要なのは、この上堂とよばれる、
老師による説法です。