無常ってなに?:つづかないよ!


この記事について

よく日本的感性として言われる「無常」について、

無常は死ぬことだけではない!無常の本来の意味とは?

出家の理由になる無常観など、お話しします。

前回はこちら

ふりかえり動画です!↓

移り変わるもの……?

道宣
すべては移りゆく……?

無常についてです!

遊心
「無常」ですか~。

ザ・日本文化!って感じですね。

道宣
そうですよね。

平家物語とかですか?

遊心
祗園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

娑羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす……。」

道宣
それそれ。

まさにこれが日本人の無常観として

真っ先に思い浮かぶ一節ですね。

遊心
すっごくネガティブな印象があります。
道宣
たしかに。

友人に聞いても

夏にセミが道の上で死んでるのとか見ると

「無常を感じる」って言います。

遊心
うんうん。

それも無常ですね~。

ただ、「諸行無常」が示している

「無常」はもうちょっと広い意味ですよね。

道宣
はい。

仏教的には、虫が死んだとか、人が死んだとか

それだけではありません。

遊心
石が削れるとか、木の葉が落ちるとかね、

物理現象の移り変わりだけじゃないです。

道宣
そう。

そういうものだけでなく

今の現象をすべて含めます。

遊心
死ぬことが無常なら、生まれることも無常ですからね。
道宣
生滅ひっくるめての無常ってことですね。
遊心
では、まず何が無常なのか、

諸行の “行” とは何なのかについてお話ししますか。

前回の「一切皆苦」も

厳密にいうと「一切行苦」です。

この「行」について、詳しく話したかったんですよ。

「諸行」?

道宣
では、まずはこれを見てください。

簡単に図説してみました。


遊心
うわぁ……。
道宣
どうしたんですか?わかりやすいでしょ?
遊心
いいえ。

わかりにくいです。

こんなの、いきなり見せられたら普通の人ページ閉じますよ?

道宣
……そうですか?しっかり解説すれば大丈夫でしょう。
遊心
まぁ、じゃあそういうことにしましょう。

でも、やっぱり仏教の説明って漢字ばかりになって見にくいですね。

道宣
あ~、あるあるです。

日本のお坊さんだと

中国語がもとの文献ばっかり勉強しますしね。

遊心
そうですね。

お経とか、まさに漢文そのものですからね。

時代は古いけど。

ネットで仏教を勉強していると漢字だらけのページが

ドン!

って出てきて、うんざりしてた思い出あります。

道宣
まぁ、めんどくさい方は

この図は見てもらわなくてもいいです。

ということにしましょう。

遊心
実際のお坊さんも

こんな細かいこと丸暗記して修行してないですしね。

道宣
はい。

人によるとおもいます。

理解に役立つこともあるってことで。

遊心
はい。
道宣
では「行」についてでしたか?
遊心
そうです。

「行」というと「修行」のような

「おこない」のイメージが一般的だとおもいます。

でも「おこない」が「無常」と言われても

全然意味わからないと思うんですよ。

しっかりと「行」の定義から始めましょう。

道宣
遊心さんが言っていた通り

「一切皆苦」も厳密にいうと

「一切行苦」のほうが、わかりやすいと思います。

「一切」と「皆」って同じ意味ですし。

一切の「行」っていうほうが明確です。

遊心
はい。

ではここでは、簡潔に一言で言っちゃいましょう。

皆さん、図で分かったかもしれませんが

説明し始めると漢字しか登場しなくなります。

細かい部分までは、複雑で私も嫌いです。

道宣
はぁ。

強いて言うなら「有為法」ですかね?

人間に認識できる範囲すべてのことですね。

わかりやすい。

遊心
えーと、たぶん大丈夫です。

あまり厳密にこだわらなくても大丈夫なので。

道宣
大事ですけどね。

トピックは「無常」ですからね。

遊心
そうですね。

教科書で言うところの「移り変わってゆく」現象ですね。

重要なのは、物理的観察だけでなく、

自分が認識するモノと共に、

認識そのものも含むという点です。

道宣
はい。

その認識する現象自体そのものが

常では無い

刻々と移り変わっていることです。

まさに有為転変ってことです。

ニュアンスは違いますが。

遊心
最初にも触れましたが

日本ではネガティブな印象がついてまわりますね。

道宣
そうかもしれません。

じっさい、その「情感」が修行につながることは多いですし。

遊心
道元禅師も言ってますね。

「無常を観ずるこころ」が修行を志すこころだ、って。

道宣
それは間違いありません。

なので、人が死んだり花が散ったりして

虚無感のようなものを通じて

人は無常を感じるって言いますね。

遊心
それ、よく言いますよね。

そっちが一般的なのは間違いないですが

私は楽しかったり気持ち良かったりする時に

むしろ無常を感じる派でした。

道宣
これはおもしろいところですよね。

「無常」は必ずしも

ネガティブな部分だけを取り上げていない、ということです。

ちなみに、遊心さんの具体的経験談ありますか?

「無常」からの出家

遊心
具体的というと、パッとは思い浮かびませんが

物心ついてから、どんな遊びをしても

“終わりがある”事を意識してしまうクセがありました。

道宣
楽しいことしてるのに?
遊心
はい。

「いつか止めなきゃいけないんだよな。」

と思ってしまうので、楽しければ楽しいほど

どうせ一生続かないしな。」と思っていました。

道宣
うわぁ。ひねくれてる。
遊心
それは違います。

現実的だったんです。

道宣
それはそうかもしれないけど…

かわいくない子供だったでしょ?

遊心
なにいってるんですか?

私は全人類から溺愛されまくる超愛くるしい少年でしたよ。

道宣
よく自分で言えるね。
遊心
道宣さんは大人を信用しない子供だったんですもんね。
道宣
そんなことないですよ!

僕もかわいがられて育ちました!

遊心
まぁ、とにかくです。

ゆうしん少年は、めちゃめちゃ可愛がられて育ったとはいえ

常に「でも一生続かないんでしょ?」

って態度で世を見るクセがありました。

道宣
(やっぱり絶対憎たらしい子供だったな…)
遊心
私は個人的にお釈迦さんも同様だとおもってます。

王宮で暮らしてたでしょうから

私なんかよりよっぽど愛されボーイでしたよ。

道宣
……まぁそうだろうね。
遊心
青年になってからもそれは続き

一通り考え付くかぎり遊んでみましたけど

結局その「無常」の感覚がぬぐえずに出家しちゃいました。

道宣
それでお坊さんになったら

「遊心」という名前になるっておもしろいですね。

遊心
そこらへん師匠チョイスですからね。さすがです。

まとめ

  • 「無常」とは日本的情感を伴うだけでない、生まれ滅する性質をもつもの
  • 諸行とは有為であり私たちの認知する世界のすべて
  • つまりすべてが無常である

次回は「諸法無我」だよ!



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