この記事について よく日本的感性として言われる「無常」について、 無常は死ぬことだけではない!無常の本来の意味とは? 出家の理由になる無常観など、お話しします。 |
前回はこちら
ふりかえり動画です!↓
移り変わるもの……?
ザ・日本文化!って感じですね。
平家物語とかですか?
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす……。」
まさにこれが日本人の無常観として
真っ先に思い浮かぶ一節ですね。
友人に聞いても
夏にセミが道の上で死んでるのとか見ると
「無常を感じる」って言います。
それも無常ですね~。
ただ、「諸行無常」が示している
「無常」はもうちょっと広い意味ですよね。
仏教的には、虫が死んだとか、人が死んだとか
それだけではありません。
物理現象の移り変わりだけじゃないです。
そういうものだけでなく
今の現象をすべて含めます。
諸行の “行” とは何なのかについてお話ししますか。
前回の「一切皆苦」も
厳密にいうと「一切行苦」です。
この「行」について、詳しく話したかったんですよ。
「諸行」?
簡単に図説してみました。
わかりにくいです。
こんなの、いきなり見せられたら普通の人ページ閉じますよ?
でも、やっぱり仏教の説明って漢字ばかりになって見にくいですね。
日本のお坊さんだと
中国語がもとの文献ばっかり勉強しますしね。
お経とか、まさに漢文そのものですからね。
時代は古いけど。
ネットで仏教を勉強していると漢字だらけのページが
ドン!
って出てきて、うんざりしてた思い出あります。
この図は見てもらわなくてもいいです。
ということにしましょう。
こんな細かいこと丸暗記して修行してないですしね。
人によるとおもいます。
理解に役立つこともあるってことで。
「行」というと「修行」のような
「おこない」のイメージが一般的だとおもいます。
でも「おこない」が「無常」と言われても
全然意味わからないと思うんですよ。
しっかりと「行」の定義から始めましょう。
「一切皆苦」も厳密にいうと
「一切行苦」のほうが、わかりやすいと思います。
「一切」と「皆」って同じ意味ですし。
一切の「行」っていうほうが明確です。
ではここでは、簡潔に一言で言っちゃいましょう。
皆さん、図で分かったかもしれませんが
説明し始めると漢字しか登場しなくなります。
細かい部分までは、複雑で私も嫌いです。
強いて言うなら「有為法」ですかね?
人間に認識できる範囲すべてのことですね。
わかりやすい。
あまり厳密にこだわらなくても大丈夫なので。
トピックは「無常」ですからね。
教科書で言うところの「移り変わってゆく」現象ですね。
重要なのは、物理的観察だけでなく、
自分が認識するモノと共に、
認識そのものも含むという点です。
その認識する現象自体そのものが
常では無い
刻々と移り変わっていることです。
まさに有為転変ってことです。
ニュアンスは違いますが。
日本ではネガティブな印象がついてまわりますね。
じっさい、その「情感」が修行につながることは多いですし。
「無常を観ずるこころ」が修行を志すこころだ、って。
なので、人が死んだり花が散ったりして
虚無感のようなものを通じて
人は無常を感じるって言いますね。
そっちが一般的なのは間違いないですが
私は楽しかったり気持ち良かったりする時に
むしろ無常を感じる派でした。
「無常」は必ずしも
ネガティブな部分だけを取り上げていない、ということです。
ちなみに、遊心さんの具体的経験談ありますか?
「無常」からの出家
物心ついてから、どんな遊びをしても
“終わりがある”事を意識してしまうクセがありました。
「いつか止めなきゃいけないんだよな。」
と思ってしまうので、楽しければ楽しいほど
「どうせ一生続かないしな。」と思っていました。
現実的だったんです。
かわいくない子供だったでしょ?
私は全人類から溺愛されまくる超愛くるしい少年でしたよ。
僕もかわいがられて育ちました!
ゆうしん少年は、めちゃめちゃ可愛がられて育ったとはいえ
常に「でも一生続かないんでしょ?」
って態度で世を見るクセがありました。
王宮で暮らしてたでしょうから
私なんかよりよっぽど愛されボーイでしたよ。
一通り考え付くかぎり遊んでみましたけど
結局その「無常」の感覚がぬぐえずに出家しちゃいました。
「遊心」という名前になるっておもしろいですね。
まとめ
- 「無常」とは日本的情感を伴うだけでない、生まれ滅する性質をもつもの
- 諸行とは有為であり私たちの認知する世界のすべて
- つまりすべてが無常である
次回は「諸法無我」だよ!
無常についてです!