今回は飲茶さんの『「最強! 」のニーチェ』を紹介します。
以前レビューした記事は(↓↓)から
対話形式でニーチェの哲学についてわかりやすく語った一冊。
個人的に感じたこの本の魅力は、ニーチェの哲学自体というよりも、ニーチェ哲学と作者の関係が体験談と共に書かれているところです。
この本の分類は哲学に含まれるのですが、実は仏教思想を理解するための本として読んでも、大変おもしろい一冊です。
読後感としては、現代版の禅僧の語録を読んでいる気にさえなりました。
自らの魂の向け変え(ペリアゴーゲー)を対話形式で綴った語録といっても差し支えないでしょう。
仏教との関連
後半で作者自身が吃音であり、そのコンプレックスをニーチェの哲学の助けをかりて乗り越えた、という話が書かれています。
以前にも吃音の女の子が主人公の漫画をレビューしたことがありましたが、この本ではより深く踏み込んで書いてあります。
*漫画レビューはこちら(↓↓)
仏教的に「読む」
一応仏教的解釈を試みますが、まず言いたいことがあります。
「こんなレビューを読むより、早く本書を読んでください」
ええ、真剣です。
恥ずかしながら、このレビューを書くために、本書を読みかえし、メモを取りながら、
なるべくちゃんとしたレビューを書こうと思ったのですが、どう書いてもこの作者よりわかりやすく要点を書けませんでした。
だって無理ですよ。
引用したらそっちのほうがわかりやすいって、もうお手上げです。
何より、この本の中で言っていることって、仏教と相性が良すぎるんです。
まずこの本の仏教的に重要な点をまとめます
永劫回帰によって意味がはく奪された世界を乗り越えるためには、末人ではなく超人として生きなければならない。
この世界は本来的に「事実はない、存在するのは解釈のみ」なので、その「すべてのラベルが外れた世界」「架空の価値観が消えた世界」つまり「大いなる正午」を経験すれば、苦しみは消える。
「大いなる正午」を経験した後は、子供のように生を楽しみながら生きる。
ここで使われている言葉を仏教用語に置き換えてみます
厳密にいえば、違う概念もありますが、そこは現代的解釈として「読む」ということで。
輪廻転生の世界を乗り越えるためには、凡夫ではなく、仏として生きなければならない。
この世界は本来的に「空」であり、涅槃を経験すれば、解脱する。
涅槃を経験した後は、遊戯三昧にいる仏のように生きる。
いかがでしょうか、「強引だよッ!」という声がすぐにでも聞こえてきそうですが、
個人的には、意外とイイ線をいっていると思っています。
まあ、ノーガードでこういうこと書くと、
こんな感じで全方位から叩かれまくるのは目に見えてますが、そこは全力でスルーします。
細かい仏教用語とかは、いつか別の場所で話したいと思います。
お坊さんの役割ってなに?
もうこれほどのことを、ここまで分かりやすく言われてしまうと、「お坊さんの役割ってなに?」と思ってしまうのですが、あえて役割を探してみます。
仏教側から哲学をやっている人に向かって言う批判は「実践ができてない」「身体性の問題が・・・」というものが多くみられます。
実際に「事実はない、存在するのは解釈のみ」とか、「すべてのラベルが外れた世界」「架空の価値観が消えた世界」「大いなる正午」といった言葉を理解するには確かに体験的なものがなければならないと思います。
しかもそれは”普通”の人が”普通”に生きているだけでは、なかなか経験できるものではない。
だからこそ、本気で興味を持った人は瞑想や坐禅などの「修行」を始めようと思うわけです。
そして往々にして「哲学」の本には”実践”の話が抜けている。
しかし!!!なんとこの本は!!!
”実践”にも言及しているッッッ!!!
本の中では、アキホちゃんに教えるという流れで、(瞑想とか坐禅ということばは使わずに)飲茶先生が同様なことをインストラクションしてます。
・・・・・・・もうさ。お坊さんいらなくね?って感じですよね。うん。
もうやめて!仏教のライフはゼロよ!
最後の最後で悪あがきするなら、仏教は“実践”に対しての膨大な知見と経験を持っている、ということですかね……
2500年以上、師匠と弟子という関係性で「人から人に伝えてきた」という歴史があります……
道元さんも
「修行したかったら、まず良い師匠をみつけなさい。出会えなかったら一人でやりなさい。悪い師匠の元で修行するくらいなら出会わないほうがマシだ。」
と言っているように、良質なインストラクションを受けながら「修行」するというのはとても大事なことです。
まとめ
早く本屋さんに行くか、ポチっとしましょう。
※本書を読んだ後で、仏教的にもうちょっと深く理解したい方はこちらをご覧ください。