前回はアメリカでドラッグがどのように根付いているのかをみました。
今回は実際にアメリカ仏教界で、ドラッグの使用と仏教の実践がどんな形で結びついているのか、
具体例を見ていきたいと思います。
元記事はこちら(英語サイトです)
Lion’s Roar 「The New Wave of Psychedelics in Buddhist Practice」 BY MATTEO PISTONO
まとめがわかりやすくなっております!
Set and Setting(セットとセッティング)
サイケデリックスを使用する意思と、それに対する注意と警告は、現代の仏教実践者の間で大きなテーマとなっています。
今日の実践者たちは
サイケデリックスへの挑戦は、merry prankster(1960代のアメリカのサイケデリック集団)の再現ではなく、1960年代のカウンターカルチャーシーンを乗り越えようとしてる。
また、1980年代と1990年代のサイケデリックスの使用の続きでもありません。むしろ、仏教の指導者や実践者は、全国の小さなサンガ(修行者のグループ)のサイケデリックスの使用を見直し、再評価し、色々試しています。
と主張しています。
マジックマッシュルームやLSDの乱用と仏教の実践は同じではありません。
ワシントンの、ある禅の指導者が「病院での薬や、キリスト教のサクラメントのように、自分たちを治癒するのと同じようにサイケデリックな物質を取って、世界中でより効果的に実用することを目指す」と述べています。
Washamは「アヤワスカは強力な薬です。それは称えられ、敬意を払われるべきです。」と、アヤワスカについて尋ねる人々に絶えず伝えています。
Timothy Lear、Richard Alpert(後のRam Dass)と、1960年代のハーバード大学の研究グループから始まった、【サイケデリックスをどのように体験するのか】という探求の背景にある主要な原動力として、意思は長い間強調されてきました。
彼らは意思を「マインドセット」と呼んだり、単純に「セット(set)」と呼びます。
また、経験が行われる社会的・物理的環境を設定すること「セッティング(settig)」を同様に重要なこととして見ています。
重要なことは、セット「心構え」とセッティング「環境を調える」ことだといいます。
ドラッグを安全な場所で使用する環境なんてなかなか思いつかないと思いますが・・・
「もちろん、薬物の量は超越的な経験を生み出すものではない。単に化学的な鍵として働くだけです。しかしそれは、心を開き、神経系をその通常のパターンや構造から解放します。経験の性質は、ほぼ完全にsetとsettingに依存しています」
Leary,1964年『The Psychedelic Experience: A Manual Based on the Tibetan Book of the Dead.サイケデリックな経験:チベット死者の書に基づくマニュアル』
Washamの仏教アヤワスカリトリートの “セッティング” はペルーのジャングルで行われる伝統的なシャーマンの儀式です。これは、アヤワスカがペルーで合法であり、身体や心を癒す薬として理解されているだけでなく、これが最も安全でサポート体制が整った環境であるためです。
私たちが適切な環境でこれらの植物薬(アヤワスカ)を摂取すると、何度も何度も、私自身と他の人たちは、言葉を超えて相互につながっているという感覚を経験します。知的な理解のことを話しているのではなく、むしろ身体の内部から生じる、身体に基づく智慧と愛の一種です。私たちは他人や自然と深くつながっているので、忘れることはありません。それは、私たちが世界で私たちを見ているような、とても強力な転換です。
私たちは「悟り」を得ているのでしょうか?
いいえ、それはアヤワスカの仕事ではありません。アヤワスカの仕事は私たちの「目覚め(悟り)」を助けることです。私たちは倫理的に振る舞い、心と知性を扱い、他者に役立つことをしなければならない。
Washamの講演では、とても強力で怖いアヤワスカの旅の中でさえも、すべての生き物に尽くすという菩薩の理想を選びとらなければならない、と付け加えていました。
ドラッグを使う理由とは、仏教の言う「慈悲」とか「悟り」を頭だけで理解するのではなく、体で体験しようとするものです。
しかし、ドラッグでの体験=「悟り」とはしていません。
体験から何を学び取るか。そして、それをどう現実世界に生かしていくか、という論点にになっています
お寺の内側で
さらに、実践者は伝統的な仏教の儀式の中に「セットとセッティング」を導入しています。
Vanja PalmersはTassajaraとGreen Gulchで10年以上暮らし、実践を続け、指導者として乙川弘文氏(スティーブ・ジョブズと交流があった日本人禅僧)に認定されました。
彼はLucerne湖近くのFelsentor(彼の禅堂)で5日間の接心を定期的に開催しています。これには、長時間の坐禅や経行(歩行禅)、山寺での作務(寺の仕事)があります。
彼と40名のリトリートのグループが、最近の接心で向精神薬プロシビンを摂取しました。
Milos Savicのドキュメンタリー「Palmers」には、お寺である人が指導者に近づき、マッシュルーム(向精神薬の一種)の袋を受け取った後、坐禅のクッションに戻る前に仏陀の前でおじぎしている映像が含まれています。
オレゴン、コロラド、ワシントンにあるVajrayanaサンガでは、実践者たちは、シロシビンをトーマ(チベット仏教の儀式で使われるもの)に混ぜ、儀式のなかでサイケデリックな物質を使用しています。
一部の実践者は、儀式が始まる前にマッシュルームやLSDを摂取するので、物質の完全な影響を実践全体を通して感じることができます。
ボルダーにあるVajrayanaサンガは「1滴のLSDを、神殿のカパラ(儀式用の頭蓋骨の容器)に入れ、実践者の口にもう1滴入れる」と説明しました。
「サイケデリックな物質は、自分が世界を見るという従来の妄想を取り除くのに役立つ」と実践者は語り、ヴァージニアの別の実践者は、「光の形で神々を視覚化する瞑想段階、また広々とした心の明晰さの中に落ち着くという瞑想段階で、マッシュルームには効果がある」と語っています。
今回はアメリカ仏教界でドラッグがどのように使われているか見てきました。
特徴的なのは、ドラッグで得られる体験を仏教の実践に「適切に」組み込もうとしている点です。
そこには集団的にコントロールしようとするものさえあり、なかなか興味深くもあります。
日本ではドラッグは悪いものという意識が強くあり、それはアメリカも同じはずですが、
それを仏教の実践で「適切」に使おうとするのは、大胆さもあり怖くもあります。
次回は、ドラッグ肯定派ではなく、警告を促している側を見てみたいと思います。
次回に続く
まとめがわかりやすくなっております!
優れた記事を日本語に要約してご紹介する企画です。
日本文化としての仏教に慣れ親しんだ日本人にとって
時には新鮮な発見もあるかもしれません。