仏教とドラッグまとめ-アメリカ仏教事情


ドラッグは日本ではダメ!
ゼッタイ!

 

仏教とドラッグという関係。

アメリカでは仏教が受け入れられた1960年代から今日まで続いています。

彼らはドラッグと仏教ををどのように捉えているのか。

なぜ仏教の実践にドラッグを取り入れようとしたのか。

そして今後どのような展開になるのか。

このあたりを見ていきたいと思います。

「仏教を逆輸入する」で取り上げたもののまとめです

補足

「仏教を逆輸入する」はテーマとなった海外の記事を扱っています。

 

参考にした英語の記事はこちら

The New Wave of Psychedelics in Buddhist Practice  by MATTEO PISTONO

 

 

アメリカでのドラッグの扱われ方

 

1960年代に、ドラッグと仏教の瞑想に繋がりを感じたヒッピー世代以降、アメリカで仏教とドラッグの関係は今日まで続いています。

 

ヒッピー文化が下火になった後、ドラッグは仏教の文脈から外れたように見えましたが、近年またドラッグを使用する風潮があるようです

 

実際にアメリカで長年指導を行っている日本人僧侶の方も同様のことをおっしゃていました。

 

近年の盛り上がりのキッカケは医療分野の発達からのようです。

シロシビン(マジックマッシュルーム)、MDMA(エクスタシー)、LSDなどのサイケデリックスが、アルコールやニコチン中毒、強迫性行動、癌、うつ病、不安、PTSDに良い効果があると報告しています。

 

ドラッグの使用が様々な医療シーンにおいて有効な場合もあることがわかってくると、ドラッグ=悪いもの、という図式が崩れてきました。

 

確かに毒にもなるが、適切にコントロールして使えば薬になる可能性が見えてきたということです。

 

そしてその抵抗の薄れがアメリカ仏教界にも影響を与えたといっていいでしょう。

 

仏教とドラッグの関係

 

では、なぜ仏教にドラッグを使おうと思ったのでしょうか?

 

その理由は瞑想や坐禅といった仏教の実践と大きな関係があります。

 

この記事の中でも触れられていますが、仏教の実践は「体験」が非常に大きな前提となります。

 

仏教で言われている用語(涅槃・空・縁起などなど)は「体験」から語られなければならない、と言われます。

 

その体験を「確実に」「手っ取り早く」行えるという点でドラッグの使用は有益であるとしているのです。

 

その際に、重要なことは、その体験をサポートする環境が必要であると語られています。

 

特に、ドラッグの体験を仏教理解とつなげ、促進させる指導者の存在が不可欠とされています。

 

 

一方で、ドラッグ使用に対する反発もかなりあります。

 

自らがドラッグを使用していた瞑想指導者は、ドラッグと仏教の体験とは違う、と言い切っている人もいます。

(ちなみに、ドラック推進派も「ドラッグの体験=仏教の教え」だと言っているのではなく、適切な環境のもとでのドラッグの体験は「仏教理解を加速」させるものだと言っています。)

 

他にも、仏教の戒の精神に反するとか、ただの薬物中毒である、といった反論もなされます。

 

今後の発展-圧倒的体験

 

少なからず反発があるのにもかかわらず、なぜドラッグを使おうとするのでしょうか。

 

 

それの答えはやはり「圧倒的な体験」でしょう。

禅の指導者が言うように「大心」について読んだり、チベット仏教の指導者が言うように、「心の本性の広い明晰さにおいてくつろいでいること」について、それらは瞑想修行の20年後でさえ私にとっては単なる概念だった」と、 チベット仏教を勉強している禅の指導者は言いました。

「私はサイケデリックス(ドラッグ)を使用したとき、以前は哲学的な考え方しか経験していなかったことに気づきました。サイケデリックの経験は、仏法へのさらに強い献身(devotion)を与えてくれました。」

 

この禅の指導者が言うように、20年間実践を行ってきた人でも、仏教の教えは「概念」でしかなかったといいます。

 

長年実践を行ってきても結局、仏教の教えは「自分の頭で作り上げたもの」に過ぎなかった、ということです。

「長年仏教を実践している人は、何年も前に初めて仏教学んだ後では、もはや成長していないと思います。

さらに、彼らは進歩が止まっていて、しばしば心の中にこだわり(執着)があります。

サイケデリックな物質は、それらをシフトさせる衝撃を与えます。」

 

アメリカ仏教での停滞感や実践者たちの成長の限界が見受けられます。

 

このような現状であるから、一部のアメリカ仏教者たちはドラッグにその解決の糸口を期待しているということでしょう。

 

現に、インサイト・メディテーション・ソサエティ(IMS)を設立した1人のコーンフィールド氏は、「ドラッグと仏教の交わり」というテーマでの講演において、このムーブメントの真っ只中にいる西洋仏教指導者たちを「何か革命的なものの最先端にいる」と評しています。

 

10年後には「瞑想はドラッグと一緒にやるもの」という実践方式が当たり前になっている可能性もあります。

 

今後どうなるかはわかりませんが、何か大きな動きがあることは理解できます。

 

アメリカ仏教界の今後はますます目が離せない状況になっています。

 

 

この運動をまとめるとこうなります。

  • 現状の仏教界の停滞、行き詰まりを感じている。
  • 仏教の教えを体験として感じることができない。
  • 医療の分野において、ドラッグは適切に使えば、効果があるというデータが出てきた
  • 仏教でも適切に運用してみたら、効果があるという人が多かった。
  • 今後増えていくかもしれない

 

この運動の根本問題:日本では・・・

 

では、日本ではどうでしょうか?

 

ドラッグは海外のもので日本人には関係ない」という認識がありますが、この運動の根本にある問題は、ドラッグ使用の是非でありません。

 

それはひとえに「どのレベルの体験として仏教を理解するかどうか」という話です。

 

そもそも日本では・・・・・・

 

 

 

 

と語りたい所ですが、長くなったので、次回に続きます。



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