第三回目です。 いざ、坐禅をするとなったら 初めに気を付けるべき点について。 坐禅はスポーツでも儀式でもないので 姿勢や作法は正直どうでもいいです。 うるさく気にするのは曹洞宗だけかもしれませんが…。 |
前回はこちら
“坐り方” 身体的側面
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「どう坐るか」というと、
普通に考えたら「姿勢」や、「作法」のことを思い浮かべると思いますが……
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正直言って…
どうでもいいですね。
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この動画がまとまっており、詳しいです。
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我々も含めてほとんどの人が
姿勢や作法にこだわるので、
「いつどのくらい坐るべきか」とか
「どのような姿勢を作るべきか」を
必死になって気にする場合が多いです。
ただ、その努力をがむしゃらにやった側として、
あえて言っておきたいのですが……
あんまり意味ないです。
間違えやすいこだわり
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もともと我々も 結跏趺坐至上主義でしたし、
どうしても体が疲れて眠くなってしまう時にも
寝ないように結構エグい目の覚まし方したりしてましたもんね……。
「正身端坐(しょうしんたんざ)」と言われるので
文字のイメージからどうしても “キレイ” な坐り方を目指します。
ただ、見た目に “キレイ” かどうかはどうでもいいです。
少なくとも外見では正しいかどうかの判別はできません。
※「 結跏趺坐」は両足首を両モモの上に組む正式な坐法
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身体の固いあいだは結跏趺坐は組めませんし、
眠かったり身体が痛かったら
普通に休んで元気な時にやればいいです。
坐禅の誤解を避けるために、
これは声を大きくして言うべきですが、
“ある特殊な正しい姿勢” で坐ったからと言って
別にそれがどうということはありません。
姿勢は、あくまで坐禅を楽に行うためのものです。
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これは、道元禅師も面白い質問を受けてますが、
「なぜいろいろな姿勢があるのに、特別に坐ることだけを修行としたのですか?」
と問われて、
「それはよくわからない。みんなそうやってきたからなぁ。たぶん坐るのが一番楽だったからじゃない?」
と答えています…(笑)
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ここで重要な点は、
「“目的” を達成する手段として最適な姿勢」が “坐” であることです。
この “目的” 、「何を目指しているのか?」については
次回以降に取り扱います。
「楽だから(修行的な意味で)」
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その “坐” の姿勢として、
確かに結跏趺坐は安定していて楽です。
しかし個人的には、
「まとまった時間を安定して坐れる姿勢」であれば何でもいいと思いますけどね。
痛すぎて緊張したり、
気が緩みすぎて眠くなったりしなければ
どんな坐り方でもいいです。
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最終的には、の話ですが、
臘八接心(一回45分×一日15回の坐禅×8日)を坐りきれれば何でもいいと思います。
時間の長さが重要ではないので、
別に10分だけその姿勢で坐るのも
立派な修行になるでしょうし。
欲をいえば痛くも眠くもない姿勢がいいですね。
重心の置き方とか、
足の位置とか、細かい部分は
自分で試行錯誤するしかないのですが…。
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無理のない範囲でどうぞ。
まぁ、無理してもらってもいいのですが、
的外れな頑張りにならないように、ってことで。
やはり気合と根性だけで坐禅すると
本当に体壊しますから…
前回言った通り、命がけのはずなので
「別に壊れてもかまわない」って思ってくれたほうがやりやすいですけど…。
ストレッチとかヨガとかやって、
身体を柔らかくする努力をするのも
別に恥ずかしいことではないです。
スポーツや儀式ではないので……
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腰の入れ方、手の置き方、
首の角度や目線の位置、
目の空け具合、舌の位置……。
気にすれば無限に遊べるのですが、
しょせんは遊びにすぎません。
あくまで、姿勢を作る努力は
坐禅を適切に行うため、と割り切るほうがよいです。
「正しい姿勢そのものが悟りなんだー!」と
話の通じなくなってしまうお坊さんもたまにはいますが、
姿勢の見た目がそのまま悟りなら
彫刻でも掘ってるほうが修行になります。
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あくまで個人に合う坐り方を研究するべきですね。
それでも結跏趺坐は、
やはり安定していて気持ちがいいのでオススメです。
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しかし現代人は体がかたいので、
いきなり結跏趺坐はかなり厳しい人も多いと思います。
大きな声では言えませんが
大本山の修行僧でも
結跏趺坐で一日坐れる者はほとんどいませんでしたからね。
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かっこよく坐れることより、
長く集中して坐れることのほうが重要です。
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本当に誤解を受けやすい点でしたから
なるべく正直にお話ししました。
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姿勢の話をしたので、
次回から、ようやく内容自体についてですね…(笑)
まとめ
- “正身” の正しさは個人の身体の特徴しだい
- 無駄に頑張っても、かっこよく坐れるだけ
- 「時間をかけて坐れる形」をさがすのが重要です
次回へつづく
「どう坐ればよいのか」
まずは初めに気をつけるべき点から
大変重要なのでしっかりお話ししましょう。