坐禅ってなに?③:姿勢と作法―こだわらない―


第三回目です。

いざ、坐禅をするとなったら

初めに気を付けるべき点について。

坐禅はスポーツでも儀式でもないので

姿勢や作法は正直どうでもいいです。

うるさく気にするのは曹洞宗だけかもしれませんが…。

 

前回はこちら

“坐り方” 身体的側面

道宣
やっと「坐禅の内容」についてです。

「どう坐ればよいのか」

まずは初めに気をつけるべき点から

大変重要なのでしっかりお話ししましょう。

遊心
はい。

 

「どう坐るか」というと、

普通に考えたら「姿勢」や、「作法」のことを思い浮かべると思いますが……

道宣
……はい。

 

 

正直言って…

 

 

どうでもいいですね。

遊心
ですね。

 

 

坐禅の姿勢や作法については、

ネットで調べるだけで

すぐに適切な説明が見つかりますし、

さらに詳しく知りたい方は

藤田一照師の『現代坐禅講義―只管打坐への道』が最適の一冊になると思います。

この動画がまとまっており、詳しいです。

道宣
坐禅をはじめたばかりのころは、

我々も含めてほとんどの人が

姿勢や作法にこだわるので、

「いつどのくらい坐るべきか」とか

「どのような姿勢を作るべきか」を

必死になって気にする場合が多いです。

 

 

ただ、その努力をがむしゃらにやった側として、

あえて言っておきたいのですが……

 

 

あんまり意味ないです。

間違えやすいこだわり

遊心

もともと我々も 結跏趺坐けっかふざ至上主義でしたし、

どうしても体が疲れて眠くなってしまう時にも

寝ないように結構エグい目の覚まし方したりしてましたもんね……。

 

 

「正身端坐(しょうしんたんざ)」と言われるので

文字のイメージからどうしても “キレイ” な坐り方を目指します。

 

ただ、見た目に “キレイ” かどうかはどうでもいいです。

 

 

少なくとも外見では正しいかどうかの判別はできません。

 

※「 結跏趺坐けっかふざ」は両足首を両モモの上に組む正式な坐法

道宣
まぁ、今思えば、

身体の固いあいだは結跏趺坐は組めませんし、

眠かったり身体が痛かったら

普通に休んで元気な時にやればいいです。

 

 

坐禅の誤解を避けるために、

これは声を大きくして言うべきですが、

“ある特殊な正しい姿勢” で坐ったからと言って

別にそれがどうということはありません。

 

 

姿勢は、あくまで坐禅を楽に行うためのものです。

遊心
そうですね。

 

 

これは、道元禅師も面白い質問を受けてますが、

 

 

「なぜいろいろな姿勢があるのに、特別に坐ることだけを修行としたのですか?」

 

 

と問われて、

 

 

それはよくわからない。みんなそうやってきたからなぁ。たぶん坐るのが一番楽だったからじゃない?

 

 

と答えています…(笑)

道宣
見落としがちなところですけどね。

 

ここで重要な点は、

「“目的” を達成する手段として最適な姿勢」が “坐” であることです。

 

 

この “目的” 、「何を目指しているのか?」については

次回以降に取り扱います。

「楽だから(修行的な意味で)」

遊心
はい。

 

 

その “坐” の姿勢として、

確かに結跏趺坐は安定していて楽です。

 

 

しかし個人的には、

「まとまった時間を安定して坐れる姿勢」であれば何でもいいと思いますけどね。

 

 

痛すぎて緊張したり、

気が緩みすぎて眠くなったりしなければ

どんな坐り方でもいいです。

道宣
そうですね。

 

 

最終的には、の話ですが、

臘八接心ろうはつせっしん(一回45分×一日15回の坐禅×8日)を坐りきれれば何でもいいと思います。

 

時間の長さが重要ではないので、

別に10分だけその姿勢で坐るのも

立派な修行になるでしょうし。

 

 

欲をいえば痛くも眠くもない姿勢がいいですね。

重心の置き方とか、

足の位置とか、細かい部分は

自分で試行錯誤するしかないのですが…。

遊心
臘八接心ぜんぶ結跏趺坐は私もツラいかな…?(笑)

 

無理のない範囲でどうぞ。

 

 

まぁ、無理してもらってもいいのですが、

的外れな頑張りにならないように、ってことで。

 

 

やはり気合と根性だけで坐禅すると

本当に体壊しますから…

前回言った通り、命がけのはずなので

「別に壊れてもかまわない」って思ってくれたほうがやりやすいですけど…。

 

 

ストレッチとかヨガとかやって、

身体を柔らかくする努力をするのも

別に恥ずかしいことではないです。

スポーツや儀式ではないので……

道宣
足の組み方とか背骨の角度、

腰の入れ方、手の置き方、

首の角度や目線の位置、

目の空け具合、舌の位置……。

 

気にすれば無限に遊べるのですが、

しょせんは遊びにすぎません。

 

 

あくまで、姿勢を作る努力は

坐禅を適切に行うため、と割り切るほうがよいです。

 

 

「正しい姿勢そのものが悟りなんだー!」と

話の通じなくなってしまうお坊さんもたまにはいますが、

姿勢の見た目がそのまま悟りなら

彫刻でも掘ってるほうが修行になります。

遊心
(笑)

 

あくまで個人に合う坐り方を研究するべきですね。

それでも結跏趺坐は、

やはり安定していて気持ちがいいのでオススメです。

道宣
僕もそう思います。

 

しかし現代人は体がかたいので、

いきなり結跏趺坐はかなり厳しい人も多いと思います。

 

大きな声では言えませんが

大本山の修行僧でも

結跏趺坐で一日坐れる者はほとんどいませんでしたからね。

遊心
はい。

 

 

かっこよく坐れることより、

長く集中して坐れることのほうが重要です。

道宣
今回は姿勢についての話だけでしたが、

本当に誤解を受けやすい点でしたから

なるべく正直にお話ししました。

遊心
今回は内容について誤解の無いように

姿勢の話をしたので、

次回から、ようやく内容自体についてですね…(笑)

まとめ

  • “正身” の正しさは個人の身体の特徴しだい
  • 無駄に頑張っても、かっこよく坐れるだけ
  • 「時間をかけて坐れる形」をさがすのが重要です

次回へつづく



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