よく耳にする言葉、「因果応報」についてご質問いただきました。 本来的な意味合いとは何なのか、 簡単にお話ししました。 参考になる本も、記事の終わりにご紹介します。 |
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いずれ書きましょう。
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一般に広まっている理解と
本来的な意味合いとの差だけでもお話しします。
言葉だけの意味をはじめに言うと、
「あなたが作った原因に応じて結果が起こりますよ」
という大変簡単なものです。
それ以上の意味はありません。
重要なのは仏教的にどのように使われるのかですね。
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「悪いことしたやつにはバチが当たるぞ!」
という意味で使われることが多いですね。
嘘ついたら地獄に行って
エンマ様にベロ引っこ抜かれるぞ。みたいな。
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その一般的に言われるような場合では、
悪いことしたらバチがあたる!
ということが「因果応報」となってしまいます。
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ここでいう“善悪”と
仏教でいうそれは、しばしば
“善悪”という概念自体が異なります。
社会的な価値観の中では、
“善い(悪い)ことをしたら善い(悪い)結果を得る”
と言われるときの
道徳的な“善(悪)”は、
ほとんどの場合
「利益(損害)を招くかどうか」で決まります。
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同じ漢字を使うからややこしいのですが
“道徳的な善”と“仏教的な善”と、
仮に分けたとすると、
この二つはまったくの別物であると言えます。
もちろん、お釈迦さんも社会生活をおくる
在家信者にむけて説法をする時には、
「(道徳的)善行をして、
生まれ変わった次の生において
より善い生をおくりましょう。」
というようなことは言いますけれども。
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簡単に言ってしまえば
「涅槃に近づく行い」
です。
「苦には原因があって、
原因を滅すると苦も滅して
涅槃に近づきますよ。」
というのがお釈迦さんの教えですから
“涅槃に近づく行い”とは
“苦の原因を作らない”
ことだとも言えます。
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“苦の原因”をつくったら、
“苦”は無くなりませんし、
悟ることもできませんよ。
というのが「因果応報」の
本来的意味合いと思ってもらえばいいですね。
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「利益を得たい」という煩悩も含まれますし
そのような欲望が満たされることが
一般的にいう“利益”のことなので…
道徳的な“善”を行って
自分や他人の“利益”を生む行為とは、
欲望の充足を結果として目的にしているため
“苦の原因”をつくることにもなり得る
とさえ言うことが出来ます……。
もちろん必ずそうなるわけではないので
あくまで無理やり、そう言うこともできる。
ということですが。
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“仏教でいう善悪”は異なっている、
ということですね。
これはスッタニパータの一節ですが、
初期の経典において語られている
一般的な“善悪”について、
どのように扱われているのかが、よくわかる部分です。
636 この世の禍福いずれにも執著することなく、憂いなく、汚れなく、清らかな人、かれをわたくしは〈 バラモン〉(※理想的修行者)と呼ぶ。
642 〈 快楽〉 と〈 不快〉とを捨て、清らかに涼しく、とらわれることなく、全世界にうち勝った健き人、かれをわたくしは〈 バラモン〉 と 呼ぶ。
中村 元. ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)
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禍、不快=不利益⇒“一般的な悪”につながる
福、快楽=利益⇒“一般的な善”につながる
ということになるので、仏教的に言えば
これらの“善悪”どちらも捨てることが
修行者として目指すべきもの(涅槃)である。
ということになりますね。
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一般的に悪い事とは思われてないですが、
仏教では、その“上手くやろう”という行い自体が
“思った通りにならない”状態(苦)を生み出す
ということで、しばしば意図的に避けられます。
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「じゃぁ涅槃を求めるのも
利益を求めていることと同じでしょ?」
と言われると難しいのですが、
“涅槃”が一般的な利益でないことは確かです。
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“涅槃”を一般的価値観で
「ナニカ素晴らしいもの」
だと考えている人もたまにいますが
まったくの別物ですし、
ハッキリ言って、そういった
一般的な利益が必要な場合には
単純に一般的な努力を行ったほうが
効率よく解決すると思います。
例えば、恋人がいなかったり
お金が無いことで悩んでいる人が
修行することで問題が解決するとは考えにくいです。
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そこで言う“利益”は
いくら修行してもたぶん手に入りません。
逆に、一般的な利益からはずれた問題、
「恋人が出来たりお金があれば解決する問題だとは思えない」
というような時に、
恋人が居たり居なかったり、
お金が有ったり無かったりで
右往左往する自分自身に対する問題意識を感じる場合などは
仏教を学ぶことで得られることもあるかもしれませんね。
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本来の意味で活かされるということになります。
まさに上で引用した通り、
恋人が居る、お金が有る、という「利益」と
それが無いことの「不利益」を共に捨て去って
“苦”の原因を作らない努力をすることで
“涅槃”を目指すという修行をしてもよいと思います。
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論理的には簡単な話のはずですが、
言葉の使われ方が雑然としすぎているため
とても分かりにくいです。
“一般的な”善悪に混じって考えられているが、
“仏教的な”善悪は特殊な別物であるということが
重要な部分ですね。
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われわれの説明も、正直言って
かなり雑然としてしまったので、
下にご紹介する魚川祐司さんの書籍を参考にして頂ければ
因縁、輪廻、涅槃、などこれ以上ないほど明確に
説明されていますので、ぜひおすすめです。
いずれ「因縁」と「輪廻」についての記事を
しっかり書きたいと思ってはいたのですが
まだ書いてませんね…