この記事について ついに色即是空とか言い始めちゃいました。 でも聞いたことありますよね?色即是空。 お坊さんだったら法話で「ありのまま」使うときには これくらいの意味を踏まえて解説してほしいです。 そうでなければ「ありのままでいいんだよ」は単なる無責任発言一歩手前です。 |
♪色即是~空~空~即是~色♪
前回はこちら
「空」はまだ解説していないので
読み飛ばしてもらってもかまわないのですが
遊心さんが言っていたように
これまでは色即是空という言葉で
表されていることの理解です。
そこにあるモノはモノと思っている自分も含めて
空である。
どうしても言いたいなら「アレ」という他ない。
色即是空。
詳しい空の思想については、こちら!
空即是色
の側面についての話です!
「“ありのまま”なんてものはもともと無いぞ!」
となった後でも、どうしようもなく存在する、
“ありのまま”の話ですね。
たしかに第三のパターンとしてふさわしいですね。
“自分”がゲシュタルト崩壊的に“自分”ではなくなっても、
Aさんは、Aさんとしての自分を忘れるわけではないですし、
実際Aさんとして生きていかざるを得ないでしょう。
“自分”が“自分”で無くなったら
単純に生きていけませんからね。
わたしのありのまま?ありのままのわたし?
ホクロをでかでかと付けて生きなければならない。
ということになります。
ここで、受け入れることになる“ありのまま”が第三パターンです。
“自分”が“自分”でなくなる、
つまり、
無我
という事態において生じる
体感的理解をもとに
べつにホクロとか
ついてても
ついてなくてもかわらないや
という状態ですね。
おそらくゲシュタルト崩壊的な経験をしたら
それまでほどには“自分”が確固とした
固定的な存在ではない気がしてくるはずです。
その理解を深める過程で
それまでの問題が
どうでもいいなぁ
となった後ですね。
どうでもいいとはいえ
もちろんデカいホクロがあるんですが
それもどうでも良くなります。
もちろん、一度どうでもよくなっても、
どうせまた気になると思いますし、
ある時わかったらそれで一発解決、とはいかないのですが。
とりあえず、ここで初めてAさんは仏教的な意味で
ありのままを受け入れた、
ホクロ克服と言えるでしょう。
「ホクロとかよく考えたら別に
うんこにハエついてるかどうかと同じくらい
どぉ~でもいい!」
ってなってるでしょうね。
ありのままでいいんだよ(あなたのとはいってない)
このような形になって、
はじめて“ありのまま”という言葉がしっかり伝わった
と言えると思います。
もはやお坊さんとAさんではなく
師匠と弟子になっちゃいました。
おそらく何を言っているのか
わからなかった部分もあったと思いますが
これまでの記事で書くように、師匠を探して
修行した上での理解ですから、ご了承ください。
すくなくとも、世間で軽々しく言われるような
“ありのまま”では、仏教を誤解するどころではなく、
下手したら人生めちゃくちゃにしてもおかしくないです。
いや、結果的に一度はめちゃくちゃになるんですが。
“ありのままの自分を受け入れなさい”って言葉を、
これまでの文脈で直訳すれば、つまり
「人間をやめてみて、
そのあともっかい見てみて?」
ということですからね。
安易に“ありのまま”めざすより
大抵の場合、
ふつうに適切な解決策探したほうがいいですよ。
ホクロが嫌なら外科手術で取りましょう。
お坊さんが言う「ありのままでいいんだよ」は、
決して
「君が思っている君のままでいいんだよ。」
という意味ではなく、
むしろどちらかといえば、
「君なんて道端の石ころと同じような存在なんだから
でっぱってるだの、へっこんでるだの言っても
しょせんは石ころですよ。」
に近い意味です。
その通りです。みなさま気を付けて。
よくわからなくてもなんとなく気になるな~
ってひとは是非仏教について調べてみてください。
まとめ
- “ありのまま”は人生狂わすのではなく終わらす。
- 終わらすより、先にやることあるひとは“ありのまま”じゃなくていい。
- 人生やることなくなったら“ありのまま”でもいいんじゃない。
- ありのままの世界観が気に入った人はこの漫画読んでください(↓)
どうしても我慢できなかった“ホクロ”を
そんなものは、気にしている自分も含めて無かったんだ!
という悟りを得るところまでです。