この記事について 修行したくても師匠なんて簡単に見つけられません。 簡単に見つける方法は……無いですが、 師匠を見つけるのが どれだけ難しいかを知っていてもらえたら “怪しい教祖”に引っかからなくて済むかもしれません。 真面目に話はじめましたので、だんだん話が複雑に……。 じっくりお読みください。 |
前回はこちら!
シリアストーク始まる
友達いないので作ろうとしたら
全然見つからない。って話でしたね。
話をするってことになるでしょうね。
普通に考えたら。
ですが
それは不可能です。
それをするとなると
“悟っている” 師匠の定義を、
われわれがしなければなりません。
それは難しいのではなく
単純に不可能ですからね。
師匠が弟子に“悟りの証明”を渡すことで
しっかりとお釈迦さんから伝わる悟りを受け継ぎました!
という人がわかるようなシステムを持っているわけです。
しかしそれは現代ではほとんど効果を持たない。
ということは前回説明しましたね。
もし、師匠がいたならば
理想的な師匠が見つかった場合のお話を
あえてしましょう。
しかしその話も理想的な師匠を描き出すことに
重要な一助となります。
めでたく「これは!」という師匠と出会い、
弟子入りをして修行を始めた場合の話です。
もちろん師匠から伝えられる“悟り”ですが、
そのために必要不可欠なことが、
師匠との“ガールズトーク”
つまり完全なコミュニケーションをすることでした。
簡単に言葉で表すことができない内容を
完全な形で理解させるためには、
単純な言語コミュニケーション以上のものが
必要だったということですね。
あくまで言葉は、それを伝えるための道具でしかないので、
伝えたい内容が言語以上のものであれば
必然的に言語外コミュニケーションが必要です
つまり表情やしゃべりかたなどです。
その言語外コミュニケーションの割合が大きすぎる。
というか
禅修行では
ほとんど全て
なので、禅僧ははちゃめちゃな行いをするイメージがあります。
ホントにむちゃくちゃですよ。
コミュニケーションに必要不可欠な要素があります。
それは時間です。
頭がものすごく良くて、
コミュニケーション能力超人の二人が
母国語どうしで話をしたとしても、
はじめて会った二人では限界があります。
むしろ言葉や理論にたよらなくても
長く一緒に過ごした友人や家族とは
言葉以上のものが伝わると思います。
だからこそ、禅修行の文脈では時間が必要ということもあり、
「黙って三十年坐りなさい」
とよく言われますし、実際一度は
その気にならなければならないと思います。
正しく仏教を伝えることのできる師匠を見つけること
そして
その師匠と完全なコミュニケーションが
生じる可能性があるほど長い時間を共に過ごすこと
ということになります。
師匠に自分を理解してもらうことも
コミュニケーションでは必要になってきますからね。
道宣さん、そろそろいいですか?
これ、不可能ですよね?
それを言いますか・・・。
やめて!もう禅修行のライフは0よ!……?
では私が端的に言いますが、禅修行には
とてつもない時間が
かかるのにもかかわらず、
その時間をゆだねるための
師匠を選ぶ基準もないのであれば、
誰も
修行しようと
思いません。
よく言った!!!
(言わされた感・・・)
道宣さんが今言った通り
禅修行を正しく始めようとすればするほど
今まで言った禅修行の形には
勉強していれば気づく方もいると思います。
そのせいで
「修行しよう!」
って人あんまりいません。
良い師匠についたのでよかったのですが、
それでも相性というものがありますから、
だれでも私たちと同じ師匠につけば
OKというものでもありません。
むしろ、師匠と相性悪くてうまく行かなかった人の方が
実際には多く見てきましたからね…。
道宣さん、
ついに私が前々から言ってきた
禅 修 行 オ ワ コ ン 説
が証明されてしまいましたね……。
まだそれにはまだ早いはずです。
わたしたちも修行者として
この現状を何とかしようとしているわけですから、
禅修行自体がオワコンかどうかは
まだ先の話ということにしましょう。
もちろん禅修行の良い点や
禅ならではの魅力があるのですが……。
ハッキリ言って今のままでは、
確実に二十年は待たずに業界全体が
悪い意味での伝統芸能化しますね。
しかし、その点については私にも考えがあります。
次回、禅修行の現在における限界をふまえ
禅の活路を最大限見出したいと思います。
まとめ
- 禅修行には師匠と弟子の完全な意思疎通が必要
- それを可能にするだけお互いの理解を得る時間も必要
- 今時ギャンブルは流行らない
- まだ活路があるはず……!?
次回はこちら!
前回までは禅修行における
師弟関係の必要性
そして師匠を見つける難しさを
お話ししました。