この記事について お坊さんってなに?第二弾です。 お坊さんとは出家した人のこと…。 お坊さんでさえ誤解する“出家”とは何でしょう。 そして出家する理由となるほど何が仏教の魅力だったのか! 長いのでゆっくり読んでください。 |
その1はこちら↓↓
もともと、お坊さんとは出家した人
いったいなんだと思いますか?
と言ってもいいと思います。
でも、世間でいう「出家」は「お坊さん」と
イコールではないと思いませんか?
全く同じ意味合いでもいいはずですけれど。
友達のお坊さんのページを見たのですが
「永平寺に修行いってきます!」
という昔の投稿に対して彼の友達がコメントしていたんです。
とか
「出家終わったらあそぼうね!」
というようなコメントが、たくさんついていてゲロ吐きそうになったのですが
どうおもいます?
還俗(※お坊さんをやめて一般人になること)のこと……?
「出家」の世間のイメージって、
おそらく「修行」です。
それも山にこもって仙人みたいなことしている人限定。
まぁ、しかたないかもしれませんね…。
自分の意志で出家している人も少ないですし。
小学生くらいで出家してますからね。
お寺つがなきゃいけないから。
われわれって、
いわゆる“お寺生まれ”でもなければ
仏教に関わる親戚も知人もいない中で、お坊さんになってますよね。
「在家出身なんだめずらしいね!」
と言われたの覚えていますか?
「俺は出家出身だから。」
という完全に理解不能ワードが飛び出していました。
在家(一般人)が師匠から戒を受けて
「出家」してお坊さんとなります。
ですから、全員もともと戒を受けるまでは「在家」です。
寺族といえど家庭に生まれていますからね。
もともと在家です。
「生まれながらに出家」という概念が成立しています。
おそらく彼らの中では「出家」=寺族です。
よく批判をされたりしますが、檀家制度の関係もあって
個人的には仕方のないことだと思います。
ただ、一度は本来的な意味を考えてもいいかもしれません。
どちらが偉いとかではないので。
人生「リセット」
在家出身(笑)なわけですけど
実際に戒を受けて出家した時には
なかなか感慨深かったですよね。
まず何よりも名前変わりますからね。
名前を変えることで
修行者としてのまったく新しい人生を始める
という意味がハッキリとしていました。
昔の貴族とか何かあったらすぐ出家しますし。
むしろ主流派です。
頭丸めるのもそのなごりですね?(笑)
今までの人生を捨てて、新たにお坊さんとして生活するという
一種の「リセット」が出家といってもいいかもしれません。
人生「リセット」することなさそうですよね?
生まれ育った家族を守るために出家するのだから
どっちかと言えばレベルアップです。
あと、「リセット」すると言うと、
悪いことしたつぐないで
というイメージになりやすいですが
必ずしも悪いことしたから出家するわけではありません。
僕は。
遊心さんは知りませんが。
当時のわれわれにとっては
仏教が必要であったのは間違いありません。
そのうえで、われわれも「リセット」を選んだわけですから。
仏教の日本文化としての魅力では無かったと思います。
「人と人のつながりの中で生きる…」
というようなお話には正直あまり興味をもてませんでした。
あれはむしろ「リセット」されるべき今までの人生を
よりうまく生きてゆくためのお話の場合が多いですからね。
澤木興道老師も
「仏道とは人間の修養ではなく人間の廃業である」
といっていますし
本来的には人間社会を一度は否定する側面があります。
その生まれ育った「人間社会」を“出る”ことが
「出家」=「お坊さん」ということです。
「じゃあお前、絶対に社会に頼らずに一人で生きていけよ?」
とか平然と言う人いますけどね。
当時感じた仏教の魅力
「お坊さん」になる理由を考えてみますか?
「リセット」ってやっぱり勇気もいりますし
簡単にするわけにはいきませんよね?
それなりの理由が必要だと思います。
生まれ育った環境をある種、拒絶するようなものですから。
簡単に言うのは難しいですが個人的に惹かれた理由はある気がします。
おぉ、では道宣さんケースの説明お願いします。
大学生のころまでくらいですが
当時は社会がかたくなに持っている
自明の前提を強く感じました。
「言うまでもなく
人生は素晴らしい。
生きることは喜び!」
という前提です。
あると思います。
死については話題にすることさえできない
というのも不満に感じていました。
読まなきゃいけないやつ。
外れてみたかった、ということがあると思います。
「本当に生きることってそんなにすばらしいの?」
という思いは幼いころからありました。
「生きることがあたりまえに素晴らしい!」
というのはよく考えてみなければわからないと思いませんか?
そのような生まれ育った前提としての価値観に対して
仏教は
「無常!苦!無我!」
とロックンロールなことを言っていたのが魅力だった気がします。
たしかに私もその魅力は感じていたかもしれません。
初めて買ったCDは尾崎豊でしたし。
社会であたりまえとされている価値観を一度うたがう
という面がロックンロールとは近いかもしれないですね。
求めていたといってもいいかもしれません。
ちょっと恥ずかしいですが。
当時の頭で「人生は気持ち良ければ楽しい」
という結論を出したのですが、同時に
「では薬を使って一生昏睡状態で気持ち良くなれればいいのか?」
という疑問が強く残りました。
「マトリックス」流行ってたからでしょ?(笑)
そうかもしれません!(笑)
私が中二病な少年時代を過ごしたのは
マトリックスのせいだったのか……
まぁ出家の理由なんて皆
それぞれある程度中二病要素ありますよ!
わたしもそこについては同じですし。
そのような、人生への疑問に答えてくれるのではないか
と感じたから仏教を学び始めたわけですね。お互い。
しかし、重要な点は
われわれ二人とも本を読んで勉強しただけでは
結局わからなかったから
出家したということですね。
実践の必要性を無視できなかった。
ということは今考えても重要だと思います。
実際にいくら正しい知的理解をしても、
実践なしでは仏教がわかったとは言えません。
勉強は大事ですが。
まとめ
- もぉやだ、出家する
- 人生逆転ゲームならぬ、「人生リセットゲーム」
次回は「石の上にも30年!?」お楽しみに!
インドから中国をわたって
仏教の何が伝わってきたのかについてお話します。