坐禅ってなに?:まとめと経験談


坐禅について全六回で紹介した記事の解説に加えて、

われわれの経験談を交えた補足です。

他宗の流派も含めて坐禅を包括的に解説したため、

道元門下の曹洞宗の立場からの所感です。

 

道宣
坐禅と瞑想の比較をした記事です。

 

はじめに坐禅しようと思いたっても

なかなか本格的に行える場所がないんですよね。

 

月に一回の坐禅会とかはありますけど…

修行はじめる前に一度行ったことありますが、

正直言って全然よくわからなかったです。

遊心
私は、ちょうど周りでヴィパッサナー瞑想が流行っていたんですが、

失礼ながら、カタカナが気持ち悪いなと思って

手を出せませんでした。

 

いまでこそ、瞑想もテーラワーダ仏教も

きちんとした場所であれば大変有意義なものだと思いますが、

当時は何も知らない大学生なので、

坐禅ができる寺に行きました。

 

坐禅は漢字だから…。

道宣
そんな頭悪そうな理由で坐禅はじめたんですか…?

 

まぁ、でも坐禅や瞑想には、

この記事で言う入り口の難しさはありますから、

書籍や知人などに頼った情報収集が大事ですね。

遊心
第二回目は坐禅に必要な意気込みについてです。

 

けっこうハードというか、苦行じみて聞こえますが、

実際に初めからそれほど意気込む必要はありません。

 

しかし、あくまで本当の意味での坐禅をするのであれば、

必要になるであろう心構えです。

道宣
「心をフッと軽くするため」でも否定はしませんが、

そのために命がけになれるかどうかは重要です。

 

坐禅だけではなく、

普段の生活自体に命がけで取り組む人はたくさんいますし、

どんな分野でも本気で取り組むのなら、

「生きる」ということに命がけであることは

必要になってくると思います。

遊心
「よくわからないけど、モノがモノだったら命かけてもいいかな?」

くらいに思ってはじめられるのであればいいです。

 

私はそんな感じでした^^

道宣
偉そうですね…!
遊心
いや、だって行ってみてやってみないと

どんな奴がどんなことやっているか

わかったもんじゃないですからね。

 

初めは「何年でもいます!」って言いましたが、

(ヤバかったら明日にでも抜け出そう)って思ってました。

道宣
……。

運よくまともなところでよかったですね…。

道宣
第三回目は坐り方、姿勢についてです。

我々も個人のこだわりはたくさんありますが、

正直言って人それぞれです。

 

長く一緒に修行した僕と遊心さんでさえも

かなり多くの違うこだわりがありますからね。

遊心
はい。

 

結局適切な姿勢を自分で見つけることが重要で、

まことしやかに言われる「理想の姿勢」の型に

自分を押し込めようとするのは

あまりかしこい取り組みではありませんね。

道宣
初めはみんなその「正身(イメージ)」

必死に実現しようとしますからね。

 

あくまで「正身」とは、

「ある特殊な決まった姿勢」ではなく、

自身の感覚と結果にみちびかれた

「身心共に安定して坐れる姿勢」です。

 

試行錯誤するのが重要ですが、

一つの理想を追い求めるのはおすすめしません。

遊心
私も澤木老師の家風のおかげで、

腰いためたりしましたよ…。

道宣
「尻の穴を後ろへむけて背筋をグッとのばして頭で天井を突き上げるつもりで」ってやつですね?(笑)

 

僕もだいぶ長くやりましたけど、

今思うと、力を入れすぎでした。

 

そうは言っても、初めはそのくらい頑張っても悪いことではないと思います。

 

試してみないとわかりませんからね。

遊心
とりあえず言われていることやってみながら、

最終的に自身の最適な姿勢を探すべきですね。

道宣
第四回目、

坐禅のアプローチとしては王道

「ありのままの自分になる」というやつです。

遊心
実際その「ありのまま」がわからないから困ってるんですけどね。

 

確かに坐禅は体も動かさず、心も動かさず、

時間と空間を極限まで限定して

今、ここのゼロ地点に収まろうとする行為ですから、

なにも余計なことをしない「ありのまま」でいいんです。

道宣
そうはいっても、

姿勢をずらして理想の姿勢を探してみたり、

考え事はもちろんのこと、余計な心理操作をしてみたり…。

 

人間は「生きている」上で

「なにもしない」ということはなかなかできないんですよね。

遊心
「なにもしない」を「する」ばかりで、

なかなか「なにもしない」ことはできないんですよね…^^

 

「ゼロ地点に収まる」と言いましたが、

「ゼロに収まる」という言葉の不思議さが

そのまま坐禅の難解さにつながります…。

道宣
第五回目は、

「そもさん!」

「せっぱ!」

で有名な、「公案」をつかった禅問答の流派です。

遊心
この流派では坐禅の中で

「なにもしない」どころか、

抱いた疑惑を考えまくるらしいですね。

道宣
「なにもしない」と言われても、

「なにもしないをする」だけの人たちのために

生み出された方便ですね。

 

 

最終的にはもちろん「なにもしない」坐禅になるらしいですが、

初めからは実際にできないので、

「破裂するまで悩め!」

ということです。

遊心
たしかに、思いおこせば、

結局は私も「なにもしない」を目指して

たくさん色々なことをやっていました…(笑)

 

どうしたら「なにもしない」ができるのか

色々試してみざるを得ないのだから、

初めから適切な手段でみちびいてくれたほうが

効率的かもしれませんね。

道宣
道元禅師の主張を扱った第六回目、

曹洞宗ではこれ一本でやらされますけど、

初めは本当に意味がわからないし、

この主張の持つ意味が

ある程度はっきりとわかるようになるまでには

大変長い時間がかかりました…。

遊心
「修行するからさとり、さとるから修行する」というのも、

道元禅師の時間論や他者論をふまえた

独自の世界観が理解できなければわかりませんからね…。

道宣
個人的には、

その道元禅師の世界観を把握するには

高度な哲学も関係してくるので、

「道元禅師独自の世界観を『正法眼蔵』を読んで理解しなければ仏法はわからない」

という物言いはきらいです。

遊心
あぁ、それを言うのが好きな人は多いですね。

 

 

もちろん、正確に理解するためには必要ですが、

坐禅の経験というとっかかりなしに『正法眼蔵』は読めません。

 

逆に坐禅をしっかりできるようになると、

道元禅師が言いたいこともなんとなくわかってくるので、

正法眼蔵から坐禅を理解するよりも

坐禅から正法眼蔵を理解するほうが順当だとおもいます。

道宣
それは本当にそうですね。

 

「一切経は坐禅の注釈」ということを

道元禅を学ぶときにもしっかりと実践しないと、

理解できもしない本ばかり読んで頭をいっぱいにして

坐禅もまともに坐れないようになります…。

遊心
読むなら、道元禅師の実践指南書である、

学道用心集がくどう ようじんしゅう』ですね。

 

大変優れた内容ですので

それだけ読んでいれば修行するには十分です。

 

とにかく坐禅を間違えずに坐れるまでは

『正法眼蔵』の読解を無理にがんばっても

たぶん読めないままですからね…。

道宣
それでも読んじゃうんですけどね…

 

頭こんがらせて坐禅がまともにできないよりも、

何も考えることが無くなるくらいに

身心ともにネットはもちろん、

本からも離れた時間をつくることが重要です。

遊心
そういう面で、 接心せっしんはいいですね。

 

五日とか八日間、

しゃべらず読まず書かずに過ごせば、

「言語」からだいぶ離れますから、

私的にはやはり 接心せっしんの時が

一番坐禅には適切なコンディションになります。

道宣
はい。

坐禅をするなら、

ぜひ 接心せっしんはいずれ経験してもらいたいですね。

 

これら記事内容の理解の助けになる記事も是非ご覧ください。

  • 第一回目の瞑想と坐禅についてはこちらでも触れています。

  • 坐禅をする動機となる、「出家」についての記事です。

  • 「ありのまま」自体を扱った記事です。よくわからなかった方は是非ご覧ください。

  • 実際の禅修行とはどのように行われるのか、未読の方は是非こちらを読んでから「坐禅ってなに?」をお読みください。

  • 道元禅師の著作『正法眼蔵』についてよく知らない方はこちらの記事をご覧ください。

  • 最後にコチラの書籍を参照してもらえばバッチリです!!

『禅思想史講義』は小川隆さんの著作のなかでもとりつきやすい、体系的にまとまった優れた一冊です。

『感じて、ゆるす仏教』は現代においても続く「坐禅についての主張の難しさ」がよくわかる一冊です。著者の藤田一照師、魚川祐司氏の著書は仏教を学ぶ上で大変頼りになります。



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