坐禅について全六回で紹介した記事の解説に加えて、 われわれの経験談を交えた補足です。 他宗の流派も含めて坐禅を包括的に解説したため、 道元門下の曹洞宗の立場からの所感です。 |
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失礼ながら、カタカナが気持ち悪いなと思って
手を出せませんでした。
いまでこそ、瞑想もテーラワーダ仏教も
きちんとした場所であれば大変有意義なものだと思いますが、
当時は何も知らない大学生なので、
坐禅ができる寺に行きました。
坐禅は漢字だから…。
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まぁ、でも坐禅や瞑想には、
この記事で言う入り口の難しさはありますから、
書籍や知人などに頼った情報収集が大事ですね。
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けっこうハードというか、苦行じみて聞こえますが、
実際に初めからそれほど意気込む必要はありません。
しかし、あくまで本当の意味での坐禅をするのであれば、
必要になるであろう心構えです。
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そのために命がけになれるかどうかは重要です。
坐禅だけではなく、
普段の生活自体に命がけで取り組む人はたくさんいますし、
どんな分野でも本気で取り組むのなら、
「生きる」ということに命がけであることは
必要になってくると思います。
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くらいに思ってはじめられるのであればいいです。
私はそんな感じでした^^
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どんな奴がどんなことやっているか
わかったもんじゃないですからね。
初めは「何年でもいます!」って言いましたが、
(ヤバかったら明日にでも抜け出そう)って思ってました。
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運よくまともなところでよかったですね…。
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我々も個人のこだわりはたくさんありますが、
正直言って人それぞれです。
長く一緒に修行した僕と遊心さんでさえも
かなり多くの違うこだわりがありますからね。
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結局適切な姿勢を自分で見つけることが重要で、
まことしやかに言われる「理想の姿勢」の型に
自分を押し込めようとするのは
あまりかしこい取り組みではありませんね。
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必死に実現しようとしますからね。
あくまで「正身」とは、
「ある特殊な決まった姿勢」ではなく、
自身の感覚と結果にみちびかれた
「身心共に安定して坐れる姿勢」です。
試行錯誤するのが重要ですが、
一つの理想を追い求めるのはおすすめしません。
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腰いためたりしましたよ…。
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僕もだいぶ長くやりましたけど、
今思うと、力を入れすぎでした。
そうは言っても、初めはそのくらい頑張っても悪いことではないと思います。
試してみないとわかりませんからね。
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最終的に自身の最適な姿勢を探すべきですね。
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坐禅のアプローチとしては王道の
「ありのままの自分になる」というやつです。
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確かに坐禅は体も動かさず、心も動かさず、
時間と空間を極限まで限定して
今、ここのゼロ地点に収まろうとする行為ですから、
なにも余計なことをしない「ありのまま」でいいんです。
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姿勢をずらして理想の姿勢を探してみたり、
考え事はもちろんのこと、余計な心理操作をしてみたり…。
人間は「生きている」上で
「なにもしない」ということはなかなかできないんですよね。
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なかなか「なにもしない」ことはできないんですよね…^^
「ゼロ地点に収まる」と言いましたが、
「ゼロに収まる」という言葉の不思議さが
そのまま坐禅の難解さにつながります…。
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「そもさん!」
「せっぱ!」
で有名な、「公案」をつかった禅問答の流派です。
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「なにもしない」どころか、
抱いた疑惑を考えまくるらしいですね。
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「なにもしないをする」だけの人たちのために
生み出された方便ですね。
最終的にはもちろん「なにもしない」坐禅になるらしいですが、
初めからは実際にできないので、
「破裂するまで悩め!」
ということです。
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結局は私も「なにもしない」を目指して
たくさん色々なことをやっていました…(笑)
どうしたら「なにもしない」ができるのか
色々試してみざるを得ないのだから、
初めから適切な手段でみちびいてくれたほうが
効率的かもしれませんね。
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曹洞宗ではこれ一本でやらされますけど、
初めは本当に意味がわからないし、
この主張の持つ意味が
ある程度はっきりとわかるようになるまでには
大変長い時間がかかりました…。
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道元禅師の時間論や他者論をふまえた
独自の世界観が理解できなければわかりませんからね…。
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その道元禅師の世界観を把握するには
高度な哲学も関係してくるので、
「道元禅師独自の世界観を『正法眼蔵』を読んで理解しなければ仏法はわからない」
という物言いはきらいです。
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もちろん、正確に理解するためには必要ですが、
坐禅の経験というとっかかりなしに『正法眼蔵』は読めません。
逆に坐禅をしっかりできるようになると、
道元禅師が言いたいこともなんとなくわかってくるので、
正法眼蔵から坐禅を理解するよりも
坐禅から正法眼蔵を理解するほうが順当だとおもいます。
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「一切経は坐禅の注釈」ということを
道元禅を学ぶときにもしっかりと実践しないと、
理解できもしない本ばかり読んで頭をいっぱいにして
坐禅もまともに坐れないようになります…。
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『 学道用心集』ですね。
大変優れた内容ですので
それだけ読んでいれば修行するには十分です。
とにかく坐禅を間違えずに坐れるまでは
『正法眼蔵』の読解を無理にがんばっても
たぶん読めないままですからね…。
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頭こんがらせて坐禅がまともにできないよりも、
何も考えることが無くなるくらいに
身心ともにネットはもちろん、
本からも離れた時間をつくることが重要です。
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五日とか八日間、
しゃべらず読まず書かずに過ごせば、
「言語」からだいぶ離れますから、
私的にはやはり 接心の時が
一番坐禅には適切なコンディションになります。
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坐禅をするなら、
ぜひ 接心はいずれ経験してもらいたいですね。
これら記事内容の理解の助けになる記事も是非ご覧ください。
- 第一回目の瞑想と坐禅についてはこちらでも触れています。
- 坐禅をする動機となる、「出家」についての記事です。
- 「ありのまま」自体を扱った記事です。よくわからなかった方は是非ご覧ください。
- 実際の禅修行とはどのように行われるのか、未読の方は是非こちらを読んでから「坐禅ってなに?」をお読みください。
- 道元禅師の著作『正法眼蔵』についてよく知らない方はこちらの記事をご覧ください。
- 最後にコチラの書籍を参照してもらえばバッチリです!!
『禅思想史講義』は小川隆さんの著作のなかでもとりつきやすい、体系的にまとまった優れた一冊です。
『感じて、ゆるす仏教』は現代においても続く「坐禅についての主張の難しさ」がよくわかる一冊です。著者の藤田一照師、魚川祐司氏の著書は仏教を学ぶ上で大変頼りになります。
はじめに坐禅しようと思いたっても
なかなか本格的に行える場所がないんですよね。
月に一回の坐禅会とかはありますけど…
修行はじめる前に一度行ったことありますが、
正直言って全然よくわからなかったです。